井上尚弥と死闘を繰り広げた元世界王者の師匠が明かした「親切な国・ニッポンへの敬意と感謝」
今年5月のルイス・ネリとの激闘を制した井上尚弥。9月には次戦が予定されている。「世界の頂点」に立ち続けて久しい井上だが、初めて世界王者になった試合を覚えている・観た人は、熱心なボクシングファンを除けば存外少ないのではないか。4万部を超えるベストセラーとなった『怪物に出会った日~井上尚弥と闘うということ』から、初の世界戦となった第6戦、メキシコのアドリアン・エルナンデスがその死闘を振り返った章を特別公開する――。 【衝撃】メイウェザーをとりまく美女たちがグラマラス過ぎて…
伝説のボクサーは語る
エルナンデスを取材した翌日、私はピントールからも話を聞くことになっていた。 待ち合わせ場所にはピントールの地元クアヒマルパのショッピングセンターにある中華レストランを指定された。私たちは六十七歳の殿堂入りチャンピオンを絶対に待たせてはいけない、という思いがあり、かなり早めに着いた。 ボクシング王国のメキシコでは各年代で時代を背負うボクサーが現れた。 一九六〇年代には世界フェザー級王座を七度防衛したビセンテ・サルディバル。七一年、ルーベン・オリバレスは金沢和良と「世紀の死闘」を演じた。歴代屈指のバンタム級ファイター、サラテは「KOアーティスト」と称され、八〇年代後半からフリオ・セサール・チャベスは世界的なスーパースターとなった。 最軽量級のロペスは大橋秀行から王座を奪い、無敗のまま引退した。二〇〇〇年代にはマルコ・アントニオ・バレラ、ファン・マヌエル・マルケス、エリック・モラレスがマニー・パッキャオと名勝負を量産した。二〇一〇年代に入り、世界のボクシング界を牽引した「カネロ」ことアルバレスもいる。著名なチャンピオンの名前が次々と浮かぶ。 私は信藤にメキシコでのピントールの人気と評判を尋ねた。 「自分の印象が正しければ、メキシコを象徴しているような存在です。なぜかというと、顔立ちが先住民系だから。スペイン系、ヨーロッパ系とか白人系のメキシカンとはちょっと違いますよね。だから、みんなが親近感を持っている。ニックネームが『クアヒマルパのインディアン』なんですよ。見た目からして、メキシコ人を象徴している選手の一人と言っていいです」 メキシコでは強いだけでは愛されないという。