両腕で歩くミャンマーの牧師と合気道開祖の「最後の内弟子」 Vol.5
まさに「地獄」の様相を呈している――2021年に発生した軍部によるクーデター以降、ミャンマーでは軍事政権の国軍(ミャンマー軍)と、軍事組織としてのKNLAを有するKNU(カレン民族同盟)やカチン州、シャン州、カヤ州などの武装勢力が組織した反政府(反軍事政権)の連合的武装組織PDFの戦闘が激化している。今年に入り、軍事政権はついに18歳以上の国民を徴兵するとまで発表した。 2024年現在、ミャンマーに向けられる視線は「反民主的な軍事政権VS民主化を求めるレジスタンス的武装勢力」の構図一色に塗りつぶされているが、はたしてクーデターが発生する前のミャンマー、そのディテールに目を向けていた者がどれほどいただろうか。 本連載は、今では顧みられることもなくなったいくつかの出来事と、ふたつの腕で身体を引きずるように歩くカレン族の牧師を支えた日本人武道家を紹介するささやかな記録である。
アンナ
一昨年、クロエと同じように〈イギリス人の組織〉が支配する共同体で暮らしていた女性、アンナが今回とは別の協力者を使って、パスポートの取得を計画した。その際、ミャンマー国内で頼んだ運び屋の質が悪く、彼女はヤンゴンの郊外で所持品を奪われ、水田の脇に置き去りにされてしまった。翌日、途方に暮れていた彼女を助けたのは、カレン族の若い男だった。男は果物をヤンゴンへ運搬する仕事をしていたという。 彼は、アンナを自宅へ連れ帰り、ふたりは一緒に暮らし始めた。タムヒンキャンプで生まれ育ち、11歳で脱走した後は、〈イギリス人の組織〉のもとにいたので、彼女はひとりで眠りについたことがない。 起きている間も、便所以外では、1度もひとりきりになったことがない、という言い方もできるかもしれない。アンナは処女だった。男と暮らし始めると、すぐに妊娠した。腹が大きくなって、彼女が性交を拒むようになると、カレン族の男は小銭を持たせて、アンナを追い出した。 「『彼女は来なかった』と運び屋は言うし、あの日から半年以上も音沙汰がなかったから、強盗かミャンマー軍に殺されたと思っていた。そうしたら、知らない番号から急に電話がかかってきて、すぐに迎えを出した。信頼できる運び屋を使ったから、また金がかかって大変だったよ」〈イギリス人〉 こうして、アンナはまた国境を越えて共同体へ戻り、今は赤ん坊とともに暮らしている。そんな事情があったので、〈イギリス人〉は、クロエをひとりでヤンゴンへ行かせることに難色を示したのだった。しかし、これもすぐに解決した。