笠谷幸生さん死去 80歳 札幌冬季五輪ジャンプ金 「日の丸飛行隊」エース
1972年札幌冬季五輪スキージャンプ70メートル級で表彰台を独占した「日の丸飛行隊」のエースで、日本選手初の冬季五輪金メダルに輝いた笠谷幸生(かさや・ゆきお)さんが23日午前7時35分、虚血性心疾患のため札幌市内の病院で死去したことが25日、分かった。80歳。後志管内の大江村(現仁木町)出身。通夜・告別式は家族葬で行われた。後日お別れの会を開く予定。 【写真】札幌冬季五輪のスキージャンプ70メートル級でメダルを独占した(左から)2位の金野昭次さん、優勝の笠谷幸生さん、3位の青地清二さん=1972年2月6日 ジャンプの有力選手だった8歳上の兄昌生さん(故人)の影響で、小学2年生で本格的に競技を始めた。 余市高(現余市紅志高)1年だった60年の全日本選手権で最長不倒を飛んで3位に食い込み、その名が知られるようになった。明治大からニッカウヰスキーに進み、日本のエースとして国際大会で頭角を現していった。 競技生活のハイライトとなった札幌五輪の70メートル級ジャンプは1回目に84メートルの最長不倒を飛んで首位に立ち、2回目は79メートルにまとめて圧勝した。2位に金野昭次さん、3位に青地清二さん(ともに故人)が続いた。表彰式で日の丸3本が掲揚され、日本で初開催された冬季五輪を大いに盛り上げた。 柔軟で強靱(きょうじん)な足腰を生かした鋭い踏み切りと、後半も飛距離を伸ばす巧みな飛行技術が特徴で、着地で両足を前後させるテレマーク姿勢は世界一美しいとたたえられた。