大鶴義丹、舞台出演のため、父・唐十郎さんを看取れず「最期まで粋な演出をする父だな」
劇作家で「劇団唐組」主宰の唐十郎(本名・大鶴義英)さんが4日、東京都中野区の病院で急性硬膜下血腫のため死去した。84歳だった。長男で、俳優の大鶴義丹(56)が5日、都内で取材に応じた。 舞台「後鳥羽伝説殺人事件」に出演後、取材に応じた大鶴は「昨日の午後9時4、5分ですかね。ここ10年くらいは健康と闘う日々で、旅立ちました。昨日の舞台初日が終わったのが、9時過ぎで。看取ることはできなかったんですけど、30分後位に駆けつけたら、まだ少し体温が残っていて」と話した。 幼少期から日本の演劇界を先導していた父の姿を追いかけてきた義丹。今も、父の後ろ姿は「しっかり記憶している」と語る。「テントの横で見ていたんですけど、うれしそうに舞台に踏み込んでいく。行ってくるぞと。ここが、自分が幸せで生きる空間なんだという感じで。その姿を、いつも後ろから見ていたので。舞台に出ることは重圧もあって、心地よいだけじゃないんですけど、うちの父は100%心地よい感じでした」と話した。よく聞いた言葉は「三度の飯を食べるように、芝居を続ける」。プライベートでも「大鶴義英よりも唐十郎であり続けた」といい、「芝居しかなかった人。そういうのを隠す俳優さんや女優さんもいると思いますけど、うちの父は、大鶴義英じゃなくて、100%唐十郎だったんじゃないかな」と回想した。 今年、自身が初めて主演し、父の戯曲でもある「ジャガーの眼」に再び挑戦する。「芝居しか考えていない人でしたので。一番の弔いは、とにかく芝居をしていくこと。それしかないですね」。そして、最期に教えてくれたこともある。「舞台初日が終わった時間に、父が亡くなって。『役者は親の死に目に会えない』とよく言いますけど、『絶対に芝居を完結させないと言えないんだよ』ということを、父が死をもって教えてくれたんだとハッキリ感じました」。義丹は、少し声に詰まりながらも「最期まで粋な演出をする父だなって。ちょうど看取ることができないような時間にね。役者ってそういう人生だからね」とかみ締めるように言った。
報知新聞社