ドンキ創業者・安田隆夫氏が語る人事論 毎年20%の支社長が降格
破竹の進撃が止まらない。ディスカウントストア「ドン・キホーテ」(通称「ドンキ」)を運営するパン・パシフィック・インターナショナルホールディングス(PPIH)は、34期連続増収増益と波に乗る。『進撃のドンキ 知られざる巨大企業の深淵なる経営』を上梓(じょうし)した酒井大輔が、その強さの源泉を探る。 【関連画像】■ 2010年代前半は、成長の踊り場だった ──PPIHの業績推移 「はらわた力(りょく)」──。ドン・キホーテに脈々と伝わる造語である。 たとえ失敗して土壇場に追い詰められても、その経験を糧として勇猛果敢に立ち上がる。目の前の壁に跳ね返され、もがき苦しみながらも、不屈の闘志で最後に這い上がろうとする一念のことを指す。 はらわた力を思う存分鍛えられるよう、ドンキには失敗を容認する企業文化が浸透している。経営理念に掲げるのは「大胆な権限委譲」。仕入れ過ぎて在庫を大量に抱えてしまった、開発した商品が全く売れなかった、赤字を計上してしまった…そんなときも上司からとがめられることはない。ドンキでは誰もが派手にやらかしながら、一人前の商売人に育ってきたからだ。失敗による損失は、成功体験を積み重ねる礎と位置付けている。 社員全員が貪欲に成長を追い求める集団であり続けられれば、どれほど大きな企業になろうと安定志向に傾き、成長が鈍化することはない。「大企業病」になることなどない、はずだった。 しかし、売上高5000億円が近づいてきた2010年ごろから、創業者の安田隆夫氏に危機感が芽生え始めた。
増収率が鈍った時期に、創業者は何を考えたか?
増収率が鈍ってきた。意思疎通の遅れや、店舗の末端まで目が届かなかったことによる不正も起きた。この先も成長街道を突っ走るためには、社内の組織づくりも変えていく必要がある。安田氏がそう思案するようになったのは、この時期からだ(「ドンキ、35期連続増収増益に挑む カルト集団のごとき理念の徹底実践」参照)。 実際には増収増益は途切れることなく続き、10年代後半には、成長が再び加速する。19年にはユニーを完全子会社化し、パン・パシフィック・インターナショナルホールディングス(PPIH)というグループ全体で、ついに売上高1兆円を突破。07年の長崎屋買収に続く大型再編劇で、小売業界の台風の目に躍り出た。その半面、快進撃の反動なのか、大企業化による弊害も直視せざるを得ない状況に陥った。 ●支社を分割、究極の権限委譲へ 「1人の支社長が20店舗、30店舗と見るようになったんです。従業数にして1000人以上です。そもそも1人の人間が、集団を把握できる物理的な限界は140~150人という説がありますよね。そもそも支社として機能しているんですか、ということですよ」 15年に「勇退」を発表し、代表権のない創業会長兼最高顧問としてシンガポールに移住した安田氏が20年9月、ついに大なたを振るった。「ミリオンスター制度」という新たな人事評価システムを導入したのだ。 ドンキではもともと現場に権限を委譲する代わりに、しっかりと結果を出した従業員にはその努力をたたえ、昇給や昇進という形で報いる完全実力主義を掲げてきた。権限委譲と適切な評価、その両輪が回ることで組織の新陳代謝が図られ、ベンチャースピリットが保たれてきたのだ。しかし、支社長が目配りできないほどの店舗を統括していると、個店ごとの経営課題を十分にくみ取れないのはもちろん、そこで働く従業員一人ひとりの頑張りをきめ細かくフォローすることができない。人事評価の根幹が崩れてしまうのだ。 そこで「1ミリオン(100万)を単位に、(組織図を)大きく変えることにした」(安田氏)。目指したのは「究極」の権限委譲である。 それまで全国で20だった支社数を102に分割し、100万人(=1ミリオン)の商圏人口ごとに1人の「ミリオン支社長」を任命した。これにより、1人の支社長につき3~6店舗を管轄する体制に刷新。ミリオン支社長に上司はおらず、100万人の商圏、100億円の年商を持つエリアの“社長”として、完全に経営を任せる、という大胆なプランだ。 支社長ポストが大きく増えたことで、ドンキ初の女性支社長や、27歳の支社長(いずれも当時)が誕生した。ダイバーシティー(多様性)を推進しながら、実力のある人材はどんどん抜擢(ばってき)する、という姿勢を社内に見せつけたのだ。 ●“入れ替え戦”で下位20%は自動降格 一人ひとりのミリオン支社長がそのエリアの収支に責任を持つことで、エリア全体の業績を高める“経営”に挑んでもらう。年間の利益貢献度で上位に入ったミリオン支社長は高額の報酬を手にできる一方で、下位20%に沈んだ場合、新たな支社長にとって代わられる。英国のプレミアリーグや日本のJリーグなどが取り入れる“入れ替え戦”の仕組みを、社内制度として導入したのだ。 安田氏は大相撲の番付になぞらえて、こう説明する。 「通年で下位20%のミリオン支社長は自動降格して幕下になる。上位になったら上位になったで、また新しい番付がその翌年から始まりますから、幕下に落ちないように頑張るしかないですね。もう一度、ゼロからやり直しですから」 荒療治に打って出たのは、好業績にあぐらをかくことなく、今一度原点を思い出してもらいたいからだ。「大企業病を排除して、(従業員)一人ひとりの個性、生きざまを把握しながら、みんなで一つの目的に向かっていける、有機的な結合を持った、いわばチームとしての組織をつくろうとしたんですよ」と安田氏は語る。 ミリオンスター制度には、支社長たるもの、部下の社員だけでなく、「メイトさん」と呼ぶアルバイト全員の名前まで、名札を見ずに言えないと失格だ──という安田氏の強い思いが反映されている。大企業になっても、駆け出しのスタートアップのように、仲間と互いに顔を突き合わせながら、難局を乗り越えていく。その積み重ねにより、店も個々人も成長していくという信念がそこにある。 ミリオンスター制度は、毎年全体の2割の支社長を入れ替えるという「劇薬」だけに、“副作用”も大きい。制度のひずみを正すため、新たな組織が設けられた。それが「アンサーマン本部」である。(次回に続く)
酒井 大輔