益子直美「恐怖でしかなかったバレーボール選手時代」続けたのは小3時代の苦いできごと
引退したとき、「もうバレーは見ない」「メダルも押入れに」と、日本代表のエースでもあった益子直美さんは、バレーボールを遠ざけます。そんなに嫌いだったバレーをなぜ、続けていたのか。胸の内を明かしてくれました。(全5回中の5回) 【画像】「懐かしい!」ジャンピングサーブを武器に活躍した現役時代の益子さんほか(全15枚)
■バレーで生きてきた人生「でも、ずっと嫌いだった」 ── 元アスリートの方にお話を伺うと、皆さんたいてい競技愛を熱く語られます。厳しい世界で戦い抜き、培ってきたものがあるから、自己肯定感も高い。現役時代に活躍した益子さんが、引退後「バレーボールが嫌いだった」と告白されたときは、正直、驚きました。
益子さん:バレーが楽しかったのは、中学校で始めた最初のころだけ。その後はずっと怒られ、ぶたれる日々が続き、私にとってバレーボールは恐怖でしかありませんでした。ですから、引退を迎えた日はうれしかったし、ホッとしました。その後は、バレーなんて見たくもないと、サインボールなどの記念品も押入れの奥にしまい込んでいました。 うちは、夫(自転車ロードレーサーの山本雅道さん)も元アスリートですが、トロフィーやチャンピオンジャージなどを大切そうに飾っているんですね。
彼はいまでも自転車を心から愛していて、よく乗っているし、同じアスリートでも、私とは正反対。いったい何が違うのだろうと思っていたのですが、選手時代に受けた「指導」がまったく異なっていたんです。 ── どんな違いだったのですか? 益子さん:彼は21歳でプロデビューし、ヨーロッパで活動していたので、「褒めて伸ばす」指導を受けてきているんですね。ヨーロッパでは練習でも、ただ自転車に乗るだけで「いいね!」と肯定され、褒められる。私が受けてきたスパルタ指導とはまったく違っていました。
怒鳴られ、ぶたれ、否定され続けてきた私は、競技に対してネガティブな気持ちしか持てない。自信もないし、自己肯定感も育たない。指導の仕方で、こんなに違うものなんだと痛感しましたね。 ── 告白されたのは、引退してからずいぶん経ってからでした。なにかきっかけがあったのでしょうか? 益子さん:50歳を過ぎるまでは、「バレーボールが嫌い」と人前で言えませんでした。元バレーボール選手として解説や講演などの仕事もしていましたし、子どもたちもキラキラとした目でみつめてくる。ダマしているようで心苦しい気持ちもありました。