荒木雅博が「意外だった」落合博満監督の野球「いま考えると、相手が勝手に自滅してくれたこともあった」
── 荒木さんはコーチ時代、広島の菊池涼介選手の守備について「一歩目の足の運びがうまい」とおっしゃっていました。 荒木 菊池選手は"用心する選手"ですね。いろいろな打球に反応できるし、一見、派手に見えますが、要所で用心深いんです。たとえば、高いバウンドのゴロがきたら、少ししゃがんで「次はどこに弾むのかな」と瞬時に見極めています。そういうところを注視していると、ファンの方は守備に対する面白さが増すと思います。 ── 遊撃手を例に出して申し訳ございませんが、ゴロを捕球する位置として、広岡達朗さんは「正面」、宮本慎也さんは「左足寄り」、井端弘和さんは「右足寄り」です。荒木さんはどうでしたか。 荒木 私は「正面」タイプでした。正面より右方向のゴロは、無理して正面に入るよりも逆シングルで、左手が動きやすいようにして捕っていました。 ── 荒木さんの通算378盗塁はNPB史上11位の記録です。 荒木 6年連続30盗塁というのは、自分でも誇れる数字かなと。もともと足に自信がありましたから、1シーズンに30盗塁以上というのは、こだわりを持ってやっていました。盗塁はスタート、スピード、スライディングの"3S"とよく言われますが、そのなかでもスタートが重要だと思います。ただ、思いきりよくスタートをきるといっても、根拠のない思いきりは意味がない。「これだったら牽制はないな」など、下準備はします。 ── "下準備"とは、クセを見抜くということですか。 荒木 はい。牽制のクセについては、私は投手を下(足)から全体的に見ていました。ベンチの中からみんなでクセを探していけば、なにかしらの違いが見えてきます。そうなったら本物。選手には"見る努力"をしてほしいと思います。あとは、スライディングした時、スピードが落ちないまま塁に到達することを意識して練習していました。
【意外だった落合監督の野球】 ── 現役23年で仕えた6人の監督についての"野球"をどう感じていましたか。まず入団時は星野仙一監督でした。 荒木 111試合に出場したプロ6年目の2001年しか、実質的には絡んでいません。だから、星野監督は厳しいイメージがありますが、私は優しく接していただきました。通算2000安打達成時に花束を贈呈していただいたのが星野さんでした。星野さんは、基本に忠実なオーソドックスな野球でした。攻撃については、島野(育夫)コーチが指揮していたと聞いたことがありますが、私自身は無我夢中でそのあたりを見ている余裕はありませんでした。 ── 2002年から2年間は山田久志監督でした。 荒木 同じく投手出身の山田監督もオーソドックスな采配でした。山田監督こそソフトな印象ですが、さすが通算284勝を挙げておられるだけあって、野球に厳しい方でした。私自身、レギュラーに定着していましたが、打撃成績が伸びず、それでも我慢して使っていただきました。 ── 2004年からは落合監督が就任。いきなり優勝を果たし、在籍した8年間はすべてAクラスでした。 荒木 意外だったのは、落合さんは現役時代に3度の三冠王を獲得されたすごい打者なのに、目指していたのは「投手力を中心とした守りの野球」だったことです。チーム防御率が1位の時はすべてリーグ優勝、日本一と、守りと順位が連動していました。いま考えると、何も奇をてらったことはやっていなかったのに、相手が「何がやってくるのではないか」と勝手に自滅してくれたこともあったように思います。それにしても、落合監督の8年間はAクラスが当たり前の、まさに"黄金時代"でした。 ── 落合監督のあとを継いだ高木守道監督は、2012年は2位でしたが、翌年は4位。失礼ながら、当時の高木監督は新聞に"激情型""瞬間湯沸器"と書かれることもありました。 荒木 高木監督はどちらかというと攻撃型の野球でした。性格的には熱くなる方でしたが、それだけ野球に集中していたんでしょうね。ただ、翌日は何もなかったような雰囲気で、メリハリがあってやりやすかったですよ。