「敵はカレーから来るとばかりは限らない」 村山政権誕生前夜 公明党市川雄一書記長が漏らした謎めいた言葉
【朝刊太郎の雑記帳】
私には木下明人という、最近まで愛知県で高校世界史の教師をしていた大学時代からの友がいる。祖父はナチスから逃れるユダヤ人に「命のビザ」を発給した外交官・杉原千畝(ちうね)の学友だった秀才で、孫の彼もまた、大学生にはまれな博覧強記だった。私は卒業して新聞記者となってからも彼の知恵をしばしば借りた。 【写真】100歳の誕生日を前に、明治大校友会関係者の訪問を受けた村山富市元首相 それは細川連立政権が退陣して、後継の羽田政権が社会党の与党離脱でいきなり行き詰まった時のこと。新生党を率いる小沢一郎氏と盟友の公明党の市川雄一書記長が、連立与党を立て直すために動く日々での思い出だ。 わが西日本新聞は地方のブロック紙。全国紙のように記者の数は潤沢ではない。なので複数の党を少人数が分担して取材する。羽田政権がいつまで持つか分からない中で、その夜の私は社会党の担当ながら、掛け持ちする公明党の市川氏の宿舎に行った。そこが台風の目だった。 他社の公明党の番記者は、よそ者が交じると市川氏の口が重くなると考えて、冷え冷えとした目で見てくる。そこは厚かましく居座った。すると遅くに帰ってきた市川氏は「何も言えませんよ」とたばこを吹かしながら、こんなことを漏らしたのだ。 「敵はカレーから来るとばかりは限らないよ」 謎めいた言葉を残し、市川氏は自分の部屋に消えた。残された記者たちが首をひねって謎解きをする中、私は公衆電話を探して名古屋の木下に電話をした。携帯電話は高価で行き渡らない頃だった。 電話口に出た木下はあっさり正解を言い当てた。 「市川さんはきっと映画好きだろ。それはつまり『史上最大の作戦』だな。第2次世界大戦のノルマンディー上陸作戦の時に、連合軍は上陸地点をドイツ軍に知られないように偽装工作をしたろう。その一つがドイツの守りが堅いカレーだわ。敵の裏をかいて実は、ノルマンディーから攻めるって意味だがね」 私はほれぼれした。さすがはやつだ。カレーとは社会党を連立与党に復帰させる、いわば常識策であり、実はノルマンディーからの上陸、つまり自民党にいる渡辺美智雄氏か海部俊樹氏を担ぎ出して、自民党を分断するという大ばくちを打つ腹だったのだ。 自民党も座視などしない。逆に村山富市委員長の社会党を取り込む工作に本腰を入れ始めた。そして村山政権が深夜の決選投票を経て誕生する1994年6月29日。本紙はその直前の夕刊1面に「社党『村山首班』へ動き」という記事をいち早く打った。 不倶戴天(ふぐたいてん)の敵のはずの自民党と社会党が手を握り、世間を驚かせて30年。女房と娘に手を焼いていると言う木下を久々に訪ねようかと思っている。 (特別編集委員)