”学校の品位”を問われ出場辞退、選考委員がモメて「議論4日間」…センバツ選考 「本当にあった変な話」
かつては前年優勝校の特別枠もあった
今年3月18日開幕(阪神甲子園球場)の第96回選抜高校野球大会(センバツ)から、出場枠が東北と東海は1枠増え、中国・四国の追加の1枠がなくなり、21世紀枠も1枠減った。このように、今はセンバツの出場枠を事前に知らされているが、かつてはそうではなかった。 【一覧】センバツへの道 2023年秋季大会各地区大会の結果 まだ、インターネットなどなかった昭和の時代、一般の高校野球ファンはセンバツの出場校が決まる選考委員会の日の夕刊で、地域ごとの出場枠を知り、夕方のニュースで出場校を知った。 70年代末の野球雑誌のセンバツ出場校の予想記事をみると、前年の出場枠が書いてあるだけだ。記念大会で出場校が32校から36校に増えた98年の第70回大会の「サンデー毎日臨時増刊」のセンバツ大会号に書かれた選考経過を読むと、出場校を決める選考委員会では、まず32校の出場枠は前年と同じとし、秋季大会の内容から北海道、近畿、中国、九州に4校の増枠分が振り分けられたとなっている。20世紀のセンバツは、出場枠が正式に決まるのは、選考委員会の当日であった。 センバツは1924年に始まるが、そもそも戦前は秋季大会などなく、地域別の配分という発想はなかった。アマチュア野球の有力者たちが集まり、地域性に関係なく、強い学校を選ぶ。愛知県や和歌山県からは1大会で4校選ばれたこともあった。 戦前の旧制中学は5年制。1930年代ごろの夏の地方大会の参加校数は600校台であったが、地域的に実力の差は大きかった。力のある学校は限られており、有力校の招待試合や選考試合などを通して力をチェックし、決められたようだ。ただ選考委員会の議論が紛糾することもあり、決定に4日間を要したこともあったという。 なお、戦後間もない1948年までは、前年度優勝校の優先枠もあった。ただし「前年度選手の3分の2以上が卒業した場合は、その出場権を選考委員会に付し、出場の可否を決定する」となっている。3年制ならば、この規定に該当する学校は多いだろうが、47年までは5年制の旧制中学であったため、これに該当して審査の対象になったのは1度だけで、そのチームも前年の優勝チームのバッテリーが残っていたので、問題なく選出された。