土木が原風景となる時(2)世紀の大工事を経て完成した「黒部川第四発電所」
戦後復興が進む中、深刻な電力不足を克服するため、関西電力は社運をかけてこの黒部川第四発電所建設プロジェクト(世に言う、世紀の大工事“くろよん”)に挑んだ。富山県黒部川流域の電源開発は大正期から始まっていたが、この世紀の大工事は、厳しい自然環境のもと、1956年(昭和31年)に着工し、7年の歳月を掛け完成に至った。総工事費は513億円。このうち、約4分の1は世界銀行が貸し出しを行った(同プロジェクトを含めて日本が同銀行から貸し出しを受けた31のプロジェクトは、同銀行のサイト(http://worldbank.or.jp/31project/)で確認できる)。 困難を極めた建設プロジェクトの様子は、当時の建設会社による工事記録において、英語で簡潔に記されている。 “The construction of this dam was the most difficult work of all, which Kansai Electric Power Co., Inc. made up their minds at the risk of the future of the company, as it is said, and the story of all the difficulties is still talked over.” 本プロジェクトの中核となる黒部ダムの構造形式はアーチ式コンクリートダム(「アーチ式ドーム越流型」と記すサイトもある)であり、我が国最大級の規模と威容を誇る。現在では、多くのWebサイトや観光メディアによってその雄姿が伝えられているが、ここでは、建設当時に撮影された2つの画像を紹介したい。 写真1は、粛々と進む柱状ブロック工法による工事最盛期の様子を伝えている。この柱状ブロック工法とは、大容量のダムコンクリートを1辺15~20メートル程度のブロックに分割して打設するもので、写真1のように隣同士で凸凹になっている。最終的には、全ブロックの打設が完了し、写真2(後出)のような本来のアーチダムが完成する。 このような大規模アーチダムの建設技術は連綿として受け継がれ、平成期では温井(ぬくい)ダム(広島県)、奥三面(おくみおもて)ダム(新潟県)が記憶に新しい。