原田悠里さんの“おふくろメシ”「まぜご飯」の思い出…「母が亡くなる2年前に、炊き込みご飯との違いを知って…」
【私のおふくろメシ】 原田悠里さん(歌手) 2023年に北島三郎率いる北島音楽事務所から独立したベテラン演歌歌手の原田悠里さん。来月には新曲「春待酒」をリリースする。2年前、99歳で亡くなった母の思い出のまぜご飯を語ってくれた。 【写真】キャプテン渡辺 母親特製ホットカツサンド 秘訣は「食パンを焼くこと」 ◇ ◇ ◇ 私は熊本・天草の出身です。周囲は海ですから本当に誇れるくらい新鮮な魚を食べることができました。食卓には毎日お刺し身が出ました。 農業をやっていた父は仕事が終わると、とにかく焼酎という人で、つまみは決まってお刺し身。それがあればご機嫌でした。取れたてのタイ、ヒラメ、アジ、イワシ、タコ、エビにカキ……。私はイワシとかサバ、青魚が好きでしたけどね。天草はその中でも特にタイとタコがおいしいと今でも評判です。 大勢のお客さんが来るお正月やお盆は豪華な料理が並びました。やはりお魚中心です。お刺し身に煮付け、お魚のアラで作ったお味噌汁……。 ところが、母は天草の山育ちなので、父とはまったく食べ物の好みが違いました。天草は海に囲まれているけど、海と山で食文化が分かれるんです。山育ちの母は生魚なんか食べたことがありませんから、お嫁に来てからはお魚を「こんなもの」って顔で見ていた。だから、母が食べるのは野菜料理やお煮しめでした。 ■地元のコンサートの時に差し入れてくれた そんな母が、私が地元の天草でコンサートを開いた時などには差し入れを持ってきてくれました。多かったのはまぜご飯。鶏肉にタケノコ、ゴボウ、ニンジンに揚げなんかを細かく刻んだものに醤油など調味料で味付けし、ご飯にまぜたものです。 父は2006年に亡くなりました。私は一人っ子ですから、天草に一人残されることになった母を東京に呼び寄せました。母はお姫さまになるのが夢だった人なので、東京に来てからは味噌汁一つ作らなかったですね。亡くなったのは一昨年。99歳でした。もう少しで100歳だったんですけどね。 それまで16年間は東京で暮らし、後半の9年は施設に入りました。亡くなる前、何を食べたいか聞くと「まぜご飯が食べたか」と言うんです。それで炊き込みご飯を作って持っていったら食べてくれない。東京はまぜご飯ではなく、お米と具を一緒に炊く炊き込みが普通だから、炊き込みご飯を作って持っていったのですが、母がやはりまぜご飯を食べたいと言うので「炊き込みご飯もまぜご飯も一緒でしょ」と言って説得するつもりでした。