ショッキングピンクのマツダ「サバンナRX-7 254」が富士を走った! ボディキットはマツダスピード製でした
サバンナRX-3 251で始まった25xシリーズがRX-7ベースで発展
日本国内のシルエットフォーミュラにおいて先駆となった1台が1977年に登場した「サバンナRX-3 251」でした。そのネーミングの由来は、ツーリングカー(グループ2)のサバンナRX-3をベースにシルエットフォーミュラ(グループ5)に発展させたモデルの第1世代、ということになります。 【画像】大型のエアロパーツが特徴的! ショッキングピンクを纏った「マツダ サバンナRX-7 254」を見る(全19枚)
1979年のル・マン24時間レース挑戦に向けて開発された
RX-3 251は、富士のスーパー・ツーリング(ST)レースなどに参戦していた車両をベースにして、フロントのオーバーフェンダーと一体式のノーズカウルにリアのオーバーフェンダー、そしてリアウィングと垂直尾翼などのエアロパーツを自製して組み立てられていました。 搭載されるエンジンは、300psを発生する機械式インジェクターを組み込んだ13Bで、1977年7月の富士500kmでデビュー。この時は冷却系のトラブルからリタイアしましたが、同年12月の富士500マイルでは堂々の6位入賞を果たしています。 富士500kmではエアロパーツのバランスに苦しんだことから、2レース目となった富士500マイルでは前後のエアロパーツをTS仕様に戻し、一方エンジンはデビュー戦と同様に13Bを搭載して出走。2座の純レーシングマシン、GCカー5台に次ぐ総合6位は、事実上のシルエットフォーミュラのクラス優勝でもありましたが、何よりも13Bエンジンの高速耐久性を確認することができたのは大きな収穫となりました。 マツダオート東京(後のマツダスピード)のエントリーでRX-3 251がレースに出場したのはこの2戦のみで、その後はプライベートに託されて富士のST>レースから移行したスーパー・シルエット(SS)レースで活躍しています。 RX-3 251の後継は1979年のル・マン24時間レース挑戦に向けて開発されたマツダRX-7 252i。これは文字通り、前年に登場したサバンナRX-7(初代のSA22C型)をシルエットフォーミュラに仕立て上げたもの。市販のロードゴーイングモデルをベースにペリフェラルポートの13Bエンジンを搭載。 ボディにはオーバーフェンダー一体式のフロントカウルと、やはりオーバーフェンダー一体式のリアカウルを装着するという基本コンセプトは初代と同様。しかし、RX-3 251が、カウルワークをマツダオート東京の社内で手作りしていたのとは異なり、RX-7 252iでは富士グラン・チャンピオン(GC)シリーズに参戦しているグループ6の純レーシングカーに関して様々なカウルワークを手掛けていて「空力の申し子」と評価の高かったMOONCRAFT(ムーンクラフト)の由良拓也さんに依頼。 ちなみに車名の末尾にiが追加されていることからも分かるように、13Bエンジンにはクーゲルフィッシャー製の機械式インジェクションが組み込まれていて、最高出力は耐久レース仕様で280psを絞り出していました。 シェイクダウンテストを終えた252iは4月の富士500kmでデビューし、5月の富士GCサポートレースの富士SSレースにも参戦していました。富士500kmでは主にエンジンの耐久性を、スプリントの富士SSレースでは予選仕様で少しパワーアップ。高速でのハンドリングや空力性能のチェックを主なテスト項目としての参戦でした。残念ながら500kmではクラストップを走行中の終盤にエンジントラブル、SSレースではタイヤバーストから2戦連続でリタイアとなってしまい、ル・マンに向けては少し気になるところでした。 そして迎えた本番、生沢徹/寺田陽次郎/クロード・ブシェのトリオで臨んだル・マンでは公式予選で、不慣れなブシェに多くの走行時間を割き、生沢は体調不良となるなどパフォーマンスを発揮できず、予選落ちを喫しています。 25xシリーズ集大成のRX-7 254でル・マン初完走。WECで国内凱旋も ル・マン24時間で悔しい予選落ちとなった1979年から2年後の1981年、マツダスピードは252iの正常進化モデル、サバンナRX-7 253をリリースしています。ボディに関してはリアのウィングを廃してダッグテールとしたこと、そしてエンジンに関してはマツダ本社から供給されたワークスチューンの13Bエンジンが搭載されたのが大きな相違点となりました。 ワークスチューンの13Bはウェーバーのキャブを装着。1979年に252iに搭載されていたクーゲルフィッシャーの機械式燃料噴射式13Bに比べて20psほどパワーアップ。トム・ウォーキンショー・レーシング(TWR)とのジョイントで事前に出場したシルバーストン6時間では総合8位/GTUクラス優勝を飾っていました。しかし一層期待の高まったル・マンでは2台ともに予選通過を果たしたものの、決勝では1台がスタートから2時間後にデフのトラブルで、もう1台も夜半にはミッション・トラブルで2台ともリタイアとなってしまいました。それでも予選落ちを喫した前回よりは1段ステップアップ。三度目の正直となった1982年には、とうとう念願の完走を果たしています。 RX-3 251は、富士のスーパー・ツーリング(ST)レースなどに参戦していた車両をベースにして、フロントのオーバーフェンダーと一体式のノーズカウルにリアのオーバーフェンダー、そしてリアウィングと垂直尾翼などのエアロパーツを自製して組み立てられていました。 搭載されるエンジンは、300psを発生する機械式インジェクターを組み込んだ13Bで、1977年7月の富士500kmでデビュー。この時は冷却系のトラブルからリタイアしましたが、同年12月の富士500マイルでは堂々の6位入賞を果たしています。 富士500kmではエアロパーツのバランスに苦しんだことから、2レース目となった富士500マイルでは前後のエアロパーツをTS仕様に戻し、一方エンジンはデビュー戦と同様に13Bを搭載して出走。2座の純レーシングマシン、GCカー5台に次ぐ総合6位は、事実上のシルエットフォーミュラのクラス優勝でもありましたが、何よりも13Bエンジンの高速耐久性を確認することができたのは大きな収穫となりました。 マツダオート東京(後のマツダスピード)のエントリーでRX-3 251がレースに出場したのはこの2戦のみで、その後はプライベートに託されて富士のST>レースから移行したスーパー・シルエット(SS)レースで活躍しています。 RX-3 251の後継は1979年のル・マン24時間レース挑戦に向けて開発されたマツダRX-7 252i。これは文字通り、前年に登場したサバンナRX-7(初代のSA22C型)をシルエットフォーミュラに仕立て上げたもの。市販のロードゴーイングモデルをベースにペリフェラルポートの13Bエンジンを搭載。 ボディにはオーバーフェンダー一体式のフロントカウルと、やはりオーバーフェンダー一体式のリアカウルを装着するという基本コンセプトは初代と同様。しかし、RX-3 251が、カウルワークをマツダオート東京の社内で手作りしていたのとは異なり、RX-7 252iでは富士グラン・チャンピオン(GC)シリーズに参戦しているグループ6の純レーシングカーに関して様々なカウルワークを手掛けていて「空力の申し子」と評価の高かったMOONCRAFT(ムーンクラフト)の由良拓也さんに依頼。 ちなみに車名の末尾にiが追加されていることからも分かるように、13Bエンジンにはクーゲルフィッシャー製の機械式インジェクションが組み込まれていて、最高出力は耐久レース仕様で280psを絞り出していました。 シェイクダウンテストを終えた252iは4月の富士500kmでデビューし、5月の富士GCサポートレースの富士SSレースにも参戦していました。富士500kmでは主にエンジンの耐久性を、スプリントの富士SSレースでは予選仕様で少しパワーアップ。高速でのハンドリングや空力性能のチェックを主なテスト項目としての参戦でした。残念ながら500kmではクラストップを走行中の終盤にエンジントラブル、SSレースではタイヤバーストから2戦連続でリタイアとなってしまい、ル・マンに向けては少し気になるところでした。 そして迎えた本番、生沢徹/寺田陽次郎/クロード・ブシェのトリオで臨んだル・マンでは公式予選で、不慣れなブシェに多くの走行時間を割き、生沢は体調不良となるなどパフォーマンスを発揮できず、予選落ちを喫しています。
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