【現地ルポ】ウクライナの次はモルドバ?平和に見えても、所々に潜む亀裂、現地から見た小国モルドバの“今”
ロシアによるウクライナへの全面軍事侵攻開始から間もない2022年4月、General SVRという有名なテレグラムチャンネルが、聞き捨てならない情報を流した。ロシア安全保障会議の席でゲラシモフ参謀総長が、ウクライナ南部に加え、モルドバ全域を占領することを提案したというのである。 写真で見るモルドバの「今」 その際にゲラシモフは、「モルドバは、ウクライナのような抵抗は絶対にしないので、良いオマケになる」と発言したとされた。ただし、プーチン大統領はこの提案を原則的に受け入れつつも、ドンバス全域の制圧を優先するよう指示したということだった。 実のところ、General SVRは平素から怪情報の類を流しており、くだんのモルドバについての投稿も、真偽不明である。それでも、プーチン政権がウクライナの「オマケ」としてモルドバを見ているというのが、いかにもありそうな話であることも否めなかった。 同じ22年4月には、モルドバのサンドゥ大統領が、「わが国は、侵攻を受けた場合に、持ち堪えられるだけの軍隊を持っていない」と、どうにも頼りない発言したと伝えられた。 こうしたいきさつから、個人的にもこの2年間というもの、モルドバのことが非常に気がかりだった。ようやく念願が叶い、筆者は4月に1週間ほどモルドバに滞在して現地調査を実施する機会に恵まれた。 今までモヤに覆われてぼんやりとしか理解できていなかったことが、だいぶ見えてきた気がする。モルドバは小国とはいえ、東欧の国際秩序の行方を左右する試金石となるので、今回は現地での見聞を交えながら、モルドバの最新事情について報告してみたい。
ルーマニアとの分断国家
モルドバは、ウクライナとルーマニアに挟まれた内陸国である。かつて社会主義のソビエト連邦を形成した15共和国の一つが、1991年暮れのソ連崩壊に伴い独立国となった。 モルドバ人は、民族・言語的にルーマニアと同系統である。ソ連時代には、言語の表記にロシア語などと同じキリル文字が用いられ、ルーマニア語とは異なる独自のモルドバ語という立場がとられていたが、今ではラテン文字に移行し、普通にルーマニア語という扱いになっている。ルーマニア語はイタリア語に近いロマンス系の言語であり、スラヴ系が多い東欧の中で、ルーマニア・モルドバは「ラテンの孤島」となっている。 言ってみれば、ルーマニアとモルドバは「分断国家」の一種である。ただし、戦後に誕生した分断国家の多くは、東西ドイツ、南北朝鮮、南北ベトナム、台湾・中国など、資本主義VS共産主義の対立により成立した。それに対し、ルーマニアとモルドバは、1980年代まではともに共産主義陣営で、90年代以降はともに自由化したにもかかわらず、別々の国として存在してきた点が特異である。 端的に言えば、モルドバという存在は、歴史的にロシア帝国主義と大ルーマニア主義がせめぎ合ってきた結果として生まれ落ちたと言える。まず、ルーマニア系住民が住んでいたプルート川両岸に、モルダヴィア公国が誕生する。ところが、露土戦争に勝利した帝政ロシアは、1812年にモルダヴィア公国の半分、プルート川の北東岸を獲得し、その地域はベッサラビアと呼ばれるようになった。 それから1世紀後にルーマニアが巻き返して、第1次世界大戦とロシア革命を経て、1918年にベッサラビアを含む大ルーマニアが成立する。しかし、第2次世界大戦の結果、ソ連がベッサラビアを奪い返し、その領域を中心にモルダヴィア・ソビエト社会主義共和国が形成され、今日の独立国モルドバへと繋がっていくわけである。 現時点で、ルーマニア側にも、モルドバ側にも、国家統一を求める意見はあるが、まだその機が熟しているとは言えない。それでも、モルドバの場合には、単に欧州連合(EU)加盟路線を採っているだけでなく、ルーマニアというEU加盟済みの長兄が存在しており、この要因がモルドバ情勢に及ぼしている影響は大きい。