「絶対的な悪の勝ち誇る国」と化したロシアで、正義を掲げて行動したジャーナリストが迎えた「皮肉すぎる末路」
連続殺人犯の記憶
バッグをひっくり返すと、看守は命令した。 「外へ。右向け右。顔を壁へ。左向け左。階段を上がれ。とまれ。顔を壁へ!」 重たい鉄の扉が軋む音を立てて開いた。わたしはどこだかわからない場所へ歩み入った。房には誰もいなかった。小便のツンとする臭いが鼻をついた。部屋の隅の低い衝立の向こう側に便器があり、その横に小さい洗面台があった。壁は深緑色に塗られていて、ところどころ剥げ落ちていた。 薄っぺらい灰色のマットレスを広げ、横になった。天井から監視カメラの黒い目がこちらを見ていた。扉の外で重たい足音が聞こえ、女性看守がドアの小さな観察窓を開け、ドロンとした眼差しでわたしをじっと見た。わたしは不安になり、壁のほうへ寝返りを打って目を閉じ、眠りにつこうとした。記憶の中に遠い若い頃の恐ろしい光景がよみがえった。2001年、わたしは、連続殺人犯にインタビューするためにロシア南部の港町・ノヴォロシースクの刑務所を訪ねた若い記者だった。 「ああ、おれが殺したんだよ。自分が人間なのか、体の震えが止まらないただの木偶の坊なのか確かめたかったんだ」 歯の無い口を開けて、灰色の作業服を着た殺人犯がマイク越しに陰気につぶやいた。 1990年代末、男は徒党を組んで人を殺し、クルマを盗んでいた。彼が手を下した犠牲者は少なくとも7人で、終身刑が言い渡された。 男は刑務所でも改悛せず、逆に、血の凍るような自分の哲学を周囲に押し付けようとしていた。
絶対的な悪が勝ち誇る国
「人間の命なんて屑だよ。何の価値もない」注目されていることを楽しむように殺人犯はそう言った。 わたしは目を皿のようにして、彼の一人語りに耳を傾けていた。殺人犯とわたしの間を隔てるのは太い鉄格子だけだった。ある瞬間に自制心を失った殺人犯は急に鉄格子に飛びついたり、マイクをひっつかんで自分のほうに引っ張ったりした。恐怖にかられ、わたしは後ずさりした。2人の刑務官が殺人犯に飛び掛かり、手錠をかけた。 「インタビューは終わりだ。退出!」刑務所長が命じた。 わたしは強い咳の発作で目が覚めた。全身、まとわりつくような汗をかいていた。わたしは茫然と天井の薄暗い電灯を見つめ、殺人や強姦、強盗の犯罪者が入れられていたのと同じ監獄に、20年後に今度は自分が入ることになった理由を探ろうとした。どういうわけでわたしはここにたどり着いたのだろう。 なぜ自分の国を良くしようと思い、犯罪的な体制に反対した何十人もの政治家やジャーナリストが、監獄のなかで苦しんだり、国を追われなければならないのだろう。なぜ、ウクライナの人びとを抹殺しようとしている本当の犯罪者、殺人者、強姦者、略奪者は、これまで通り、外の世界を自由に歩きまわっているのだろう。自分に問うてみたが、答えは見つからなかった。ロシアはこの時、絶対的な悪が勝ち誇る国になっていた。 『肥満ヘビースモーカーに、泣き止まない女...政治犯扱いのジャーナリストが経験した、ロシア刑務所の「衝撃的な現実」』へ続く
マリーナ・オフシャンニコワ
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