元夫に愛娘を監禁され、母親と息子は陰謀論にどっぷり…幸せな家庭を崩壊させたロシアのヤバすぎる「プロパガンダ」
「NO WAR 戦争をやめろ、プロパガンダを信じるな」...ウクライナ戦争勃発後モスクワの政府系テレビ局のニュース番組に乱入し、反戦ポスターを掲げたロシア人女性、マリーナ・オフシャンニコワ。その日を境に彼女はロシア当局に徹底的に追い回され、近親者を含む国内多数派からの糾弾の対象となり、危険と隣り合わせの中ジャーナリズムの戦いに身を投じることになった。 【写真】習近平の第一夫人「彭麗媛」(ポン・リーユアン)の美貌とファッション ロシアを代表するテレビ局のニュースディレクターとして何不自由ない生活を送っていた彼女が、人生の全てを投げ出して抗議行動に走った理由は一体何だったのか。 長年政府系メディアでプロパガンダに加担せざるを得なかったオフシャンニコワが目の当たりにしてきたロシアメディアの「リアル」と、決死の国外脱出へ至るその後の戦いを、『2022年のモスクワで、反戦を訴える』(マリーナ・オフシャンニコワ著)より抜粋してお届けする。 『2022年のモスクワで、反戦を訴える』連載第28回 『“真実”はテレビ局で作られる…「調査開始前にすでに犯人は決まっていた」元職員が語る露テレビ局の「捏造」の瞬間』より続く
近隣住民の考え
我が家に近づいた。隣の通りには〈CCCP(CCCPはソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)の略語)〉と書かれた赤旗が翻っていた。 「どうやらお隣さんはプーチンと一緒にソ連時代へ戻ることに決めたようね」 わたしは憤慨した。 「ほら」 ザフヴァトフは別の家のほうに手を振った。 「こっちは海賊の旗だ」 「わたしがモスクワを出る時には、こんなのはなかったわ。こうやって現状に賛成していないことを表明しているのね。驚くことはないわ。戦争は、ロシアの家族を引き裂いているんだから。きっと、隣同士の付き合いをやめたのね」 ザフヴァトフは悲しげに溜息をつき、わたしのスーツケースを引っ張り出すと帰っていった。
家族との再会
わたしは庭へ行った。母がいた。 「あら、帰って来たんだ! 思ってもみなかったよ」 母は怒りで顔をゆがめながら言った。 「だってユーゴスラヴィアが空爆された時だって、あんたは黙っていたじゃないか。ウクライナのナチストがドンバスでロシア人を攻撃したときだって」 わたしは喉が締め付けられた。ひどく疲れていたので、黙っていることにした。プーチンと同い年の母は、数百万のロシア人と同様、クレムリンのプロパガンダによってゾンビにされてしまった。 朝から晩まで母はプーチンのプロパガンダの先兵であるウラジーミル・ソロヴィヨフの言うことを聞いているのだが、ソロヴィヨフはいつでも母にウクライナ人とアメリカ人を憎むよう説いていた。母にとってソロヴィヨフは権威なのだ。いまの母にとって、わたしはロシアを廃墟にしようとする「スパイ」なのだ。身近な人間に真実を伝えようとするわたしの試みは不毛だった。政治の話をすると喧嘩になった。 ドアを開けると、2匹の白毛のレトリバーが文字通り天井まで跳び上がらんばかりに喜んで、わたしの頬を舐め、尻尾を振った。 「ベリー、会いたかったよ」 大好きな犬の耳を撫でた。この2ヵ月で子犬が大きくなったことに驚いた。 2階から階段を下りてくる息子の声が聞こえた。 「なんだ、もうちょっと早く、帰国のことを知らせてくれればよかったのに」 「何か問題、ある?」 わたしは軽く言った。 「どこか別の場所に住んだら? 僕は僕たちの安全が心配なんだよ。部屋でも借りたらどう?」 息子に、自分は犯罪者ではないし、逃げも隠れもしない、と話そうとした。わたしには自分の家がある。それに、ホテルや他人の家を泊まり歩くのは飽き飽きだった。 「じゃあ、僕がパパのところへ行くよ」 息子がきっぱりと言った。 「いいわ。それがあなたの選択なら」 わたしは同意した。わたしが家にいないうちに子供たちは、わたしに反発するように仕向けられたことがよくわかった。元の鞘に収まるには時間が必要だった。