挑戦に「遅き」なし!新潟県十日町市の81歳女性が茶道教室 “第3の人生”で伝える一期一会
新潟県十日町市の81歳の女性が2024年夏、念願だった茶道教室を始めた。十日町市新宮甲の村山峰子さん。かつて服飾の営業で国内外を飛び回り、仕事の合間に喫する一服の茶に、心を癒やされてきた。退職後に就いた保護司も定年を迎え、茶の楽しみを多くの人に知ってもらえるよう、「まだまだ遅くない」と傘寿を過ぎた挑戦を楽しんでいる。 この記事の画像を見る 8月上旬、村山さんの初めての茶道教室が、十日町市の市民交流センター「分じろう」の和室で開かれた。茶道宗徧(そうへん)流教授の免状を持つ村山さん。茶道初心者の生徒6人にお手前を披露した。 床の間の掛け軸を説明した後、茶花に白桔梗(ききょう)、蛍袋を生けた意図などを解説し、「今の私たちは少し騒々しく生きているが、ここに来た時はゆったりと楽しんで」と語りかけた。 ▽茶道との出会い 1961年に、母の実家の友禅染め加工業に就職した。十日町産地の着物の出荷額が600億円とピークに達した70年代半ば。いとこの社長は、右肩上がりは続かないと見て洋装主体にかじを切った。 村山さんは社長が開拓した洋装の企画と営業を託された。ほぼ1年おきに渡欧し、見本市で流行を探った。生地を染めたデザインを、欧州の有名ブランドに提案した。「欧州は和柄が人気でした」と振り返る。国内では、デザイナーの森英恵さんや花井幸子さんらから委託加工を受けるようになった。 欧州出張中、ロンドンの大英博物館で見た焼き物や漆器、書に引かれ、それらを使う茶道を「日本芸術の集大成」と感じた。80年に、十日町の茶道をけん引していた故滝沢百合子さんに師事した。 「一服の茶をたてる静寂空間で、激務を忘れられた」。東京・原宿の出張所に寝泊まりし、営業を続けていた。役員として会社をけん引する多忙な日々。土曜午後、十日町に戻っての稽古が楽しくて、支えになった。 ▽教室で「裾野広げたい」 退職と前後して94年、保護司就任の要請があった。二つ返事で引き受けたのは、子どもの頃に父と見た保護司の啓発映画を思い起こし、更生支援を「尊い仕事」と感じたからだ。 保護司を務めた26年間で14人と向き合った。「みんな居場所がなかったんだな、と感じた。面会では『あなたが大事だよ』の思いが伝わるように接した」。誕生日には食堂に連れ出しごちそうした。近況報告してくる少年もいた。 時に暴力事案に直面し、ショックを受ける中、稽古は安らぎのひととき。2001年に宗徧流教授の免状を取得。茶会を開き、指導する許しを得た。 母が生け花の師範をしていた影響で、茶道教室を開きたいとも思っていた。2024年、市民活動団体を通じて「せっかくの着物のまち。茶道の裾野を広げたい。根付かせたい。年は取ったが、まだ間に合う」と講師を務めることを決めた。 きれいな所作を保つため、湯船で屈伸するなど、ひそかに足腰を鍛えている。「81歳、茶道の花が開くか分からないが、しゃかりきにならずに、長く続けたい。一人でも多くにお茶好きになってほしい」。大切にしたいのは「一期一会」。目の前にあることを一生懸命に。これまでと同じように。 (十日町支局長・長谷川純也)