残るは“2人”だけ… 時代と共に減っている「竹籠職人」 伝承の危機を乗り越えようと立ち上がったのは大阪出身の1人の男性だった「手間がかかる。でも、楽しいね」
青森県内で、リンゴ産業の発展とともに普及したのが「津軽竹籠」です。需要も高く、弘前市愛宕地区周辺では、最盛期は100軒以上が作っていましたが、時代の流れとともにいまは職人は2人まで減りました…。 【画像付きで分かりやすい記事はこちらから】 伝承の危機に瀕する「竹籠」。守るために動いたのは地域おこし協力隊です。 ■「津軽竹籠」を後世に… 丁寧に竹を編んで作っているのは青森県の伝統工芸品「津軽竹籠」です。 手がけているのは、弘前市岩木地区の地域おこし協力隊・伊谷 翼さん(39)。伝統の竹籠を後世へ残そうと、4月から制作を学んでいます。 岩木地区 地域おこし協力隊 伊谷翼さん 「形は失敗したと思っている。もう1回最初からやってもいい気持ち。粘ってみますけど…。だめだったらやり直します」 竹籠の普及をあと押ししたのは、明治時代に津軽地方で始まったリンゴの栽培です。 ■竹籠の普及をあと押しした「リンゴ栽培」 国内随一の産地に発展していくなかで、軽くて丈夫な竹籠は、農家に重宝され広まっていきました。これとともに竹細工の里として栄えたのが、旧岩木町の愛宕地区周辺です。 材料の根曲がり竹が岩木山で豊富に採れることから地域の特産品となり、最盛期には100軒以上が手がけました。ただ、時代が進むにつれて安くて丈夫なプラスチック製の籠が普及していき、竹籠の職人は2人にまで減り、伝承の危機に瀕していました…。 ■趣味の「古武道」をきっかけに知った竹籠の危機 こうした現状を大阪府に住んでいた伊谷さんがどのように知ったのか―。 きっかけとなったのは、趣味で続けていた古武道でした。弘前市に伝わる「卜傳流剣術」を学んでいたため、青森県の文化に興味があり知人もいました。 もう一つ、移住の決め手になったのは伊谷さんの「手仕事を極めたい」という強い思いでした。もともと、大阪で家具職人として働いていましたが、機械を使った作業が中心で、自分の手を動かして物を作ることに関心を抱いていました。 ■「竹との会話や竹を通して自分の身体との会話は面白い」 岩木地区 地域おこし協力隊 伊谷翼さん 「根曲がり竹は曲がっている・節は多い・ゆがみがある。微調整の連続。だから機械化が進まない。竹との会話や竹を通して自分の身体との会話は面白い」 伊谷さんは、地域おこし協力隊として4月に着任すると、指導を受けながら竹籠作りを学んできました。