絶望の金欠と最悪の定年後をどう生き残るのか…日本にいる「老後を大成功」した人たち
それぞれの成功例
【継続雇用型――九三歳でフルタイム勤務の総務課長】 大阪市のネジ専門商社「サンコーインダストリー」(従業員約五〇〇人)で働く玉置泰子さんは、九三歳の総務部長付課長。バスと電車を乗り継いで片道一時間かけて通勤し、毎日、フルタイムで仕事をしています。 入社以来六七年間、総務畑一筋で経理や庶務を担当するうちに、経理の仕事で使う道具はソロバンから電卓に変わり、五一歳のときパソコンが導入されました。その年代だと新たなスキルの習得に及び腰になる人もいますが、玉置さんは積極的にチャレンジ。六〇歳を過ぎて表計算ソフトの使い方も習得し、今ではパワーポイントも使いこなしています。周囲の社員は皆年下ですが、彼女は円滑なコミュニケーションを保っています。わからないことは二〇代の同僚にためらいなく質問し、年下の上司に丁寧な言葉遣いで接し、相手から訊かれない限り昔話はしない。「仕事の中心は会社。任された仕事では自分が主役という気持ちでいれば、年齢のギャップで周囲とギクシャクすることはない」と、玉置さん。二〇二〇年には、「世界最高齢の総務部員」としてギネス世界記録に認定されました。 【起業型――ワイナリー経営で地域に貢献する現役歯科医】 東京都あきる野市にあるワイナリー「ヴィンヤード多摩」の代表取締役・森谷尊文さん(七二歳)は、現役の歯科医です。大学卒業後に開業した歯科医院で診療を続けるかたわら、ワイン好きが高じて、六〇代でブドウ栽培を開始。六〇代半ばで会社を設立し、七〇歳を過ぎて、ブドウ栽培・ワインの醸造・販売の全工程を管理するワイナリーを完成させました。週に五日は歯科診療、二日はワイナリー経営という日々を送っています。 ワインづくりは趣味や道楽ではできません。森谷さんは、市から農地を借りるための面接で一度不合格になり、二度目で認可が下りたあと、必死に勉強して製造免許を取得。ブドウ栽培では雑草の除去、病気の予防、気候変化への対応など苦労が絶えず、農場長を兼務する専務が毎月、福島県にある「ぶどう学校」に通い、知識を蓄えているそうです。 「一所懸命働いて地域の福祉や活性化に貢献したい」と言う森谷さんは、地域の障碍者や高齢者の就労先として自社のブドウ畑を提供し、地元の間伐材を利用したワインボトルのラベルを障碍者支援施設で作ってもらっています。収穫の際には近隣住民も手伝います。こうしてつくられたワインは、あきる野市のふるさと納税返礼品にもなっています。 ここで紹介した方々は、「スーパーウーマン」や「スーパーマン」ではありません。働く意欲と、人一倍努力する気力と習慣を何十年ともち続け、健康の維持にも相当な努力をしているからこそ、今のような仕事ができているのだと思います。 人生はきれいごとばかりではありません。私自身の経験から言っても、長く仕事を続けるあいだには、躓いたり、転んだり、紆余曲折が毎日のようにあります。 九〇歳を超えて働いている玉置さんや本田さんの場合、時代背景を考えると、女性が働き続けること自体が大変なことだったでしょう。森谷さんの場合、本来の仕事と分野が違う、自然を相手にする仕事で起業するのは、苦労の連続だったと思います。 そうした困難や苦労を自分なりに受け止め、乗り越えて仕事を続けることは、本当に素晴らしい。そういう姿を見て、周囲の若い人たちは「自分もしっかり仕事をしなきゃ」と、よい刺激をもらっているに違いありません。 さらに連載記事〈ほとんどの人が老後を「大失敗」するのにはハッキリした原因があった…実は誤解されている「お金よりも大事なもの」〉では、老後の生活を成功させるための秘訣を紹介しています。
丹羽 宇一郎