5部降格の泥沼「誰かがやらないと」 3度優勝→昇格できず…茨の道の先に流した涙【コラム】
スタートダッシュ失敗も13節以降は快進撃
JFL昇格までの道のりと同じように、Jリーグを目指した今シーズンも苦しんだ。開幕から5試合で2勝3敗と出遅れ。一昨年から指揮をとる今矢直城監督(44)も「決していいスタートではなかった。JFLのサッカーにアジャストするのに時間がかかった」と振り返った。 J2富山などでもプレー経験のある主将のDF内田錬平(33)は「カテゴリーで最も違うのはプレーのスピード。関東リーグに慣れていたので、最初は戸惑った部分があった」と話した。第12節では鈴鹿に1-5と大敗。Jリーグ昇格の夢は遠のいたようにも思えた。 それでも「少しずつ慣れていって、自分たちのサッカーができるようになった」と内田。今矢監督も「選手も、私たちスタッフも、この1年ですごく成長したと思う」と話した。第13節以降は快進撃。独走状態だった高知をとらえて逆転した。この日は6ゴールで鈴鹿にリベンジ。17試合負けなしで優勝とJ3昇格を手にした。 「J3のサッカーに慣れるのも大変かもしれないけれど、今のチームでやれる自信もある。栃木のサッカーを見せたい」と今矢監督は新しいカテゴリーでの戦いを楽しみにした。内田も「スタジアムや練習場など環境は最高です。あとは選手が結果を残すだけ」と、史上最も早く2月中旬に開幕する来季のJリーグを見据えて話した。 この日、サポーターへの挨拶で大栗社長が最初に口にしたのは、夢へのスタートとなった7年前のソニー仙台戦の光景だった。24日の最終節はその因縁の相手との「ラストマッチ」。栃木シティはJFLからJリーグへ、ソニー仙台は活動を終了してJFLを退会する。「チャンピオンとして、しっかり戦いたい」。長く苦しい7年間を思い起こすように同社長は言った。 消滅するチームもある一方で、多くのチームがJFLからJリーグへと飛び立っていった。発足から31年、J1からJ3まで60クラブにまで成長したJリーグに来季、栃木シティが加わる。 [著者プロフィール] 荻島弘一(おぎしま・ひろかず)/1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者として五輪競技を担当。サッカーは日本リーグ時代からJリーグ発足、日本代表などを取材する。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰。20年に同新聞社を退社。
荻島弘一/ Hirokazu Ogishima