【消えた逸材】官僚に暴行を加えて実刑判決を受けたロシア代表FWのキャリアはどうなったのか。32歳の現在はキプロスのアリスで英雄に!
ロシア・プレミアリーグの最年少ゴール記録を塗り替えた
アレクサンドル・ココーリン(FW/元ロシア代表) ■生年月日/1991年3月19日(32歳) ■身長・体重/184センチ・77キロ 身持ちが悪かった。夜遊びにかまけ、重大な暴行事件を起こして実刑を食らった。 素行不良でキャリアを台無しにしたのが、アレクサンドル・ココーリンだった。 10歳でロコモティフ・モスクワの下部組織に加入し、ライバルのディナモ・モスクワに移ってプロ契約を交わし、プロデビューしたのが17歳のとき。2008年10月4日のそのデビュー戦では、途中出場から同点のネットを揺らし、ロシア・プレミアリーグの最年少ゴール記録を塗り替えた。逸材の華々しいスタートだった。 少年の頃に憧れたのは、元ブラジル代表のロナウド。フェノーメノ(怪物)ほどのスピードはなかったが、嗅覚が鋭く、点で合わせるセンスがあり、フィニッシュワークは正確かつ多彩で、自ら仕掛けてこじ開けることもできて、アクロバチックなゴールを決めた。 勝負強さも際立っていた。デビューから1か月後の古巣ロコモティフ戦で 1-0の決勝点を決め、09年7月のチャンピオンズリーグのセルティック戦(予選3回戦・第1レグ)でも、同じく虎の子の1点を奪ってチームに勝利をもたらした。 11年11月にはロシア代表デビューを果たし、クラブでは12-13シーズンから2年連続で二桁10ゴールをマークした。この頃には移籍市場での注目度も高まり、ディナモは1900万ユーロ(約28億5000万円)の違約金を設定して引き抜きに備えた。 さっそく違約金を支払うクラブが現われた。スレイマン・ケリモフというオリガルヒ(新興財閥)のオーナーシップで勃興するアンジだった。ところが、移籍後すぐにケリモフがクラブ財政を大幅に縮小してチームは事実上の解散となり、ココーリンはディナモへとまさかのUターン。 それでも引く手は数多で、とくに熱心だったのが、国外のメガクラブではアーセナル、国内のビッグクラブではゼニトだった。16年1月、改めて移籍が決まる。射止めたのはゼニトだった。 【PHOTO】C・ロナウド、ネイマールetc…世界的名手たちが誇るスーパーカーを厳選&一挙紹介!