じつは「15分」で大阪に津波が…国の発表による「津波到達時間」ではわからなかった「巨大地震」発生時の津波の実態
災害なんかで死んではいけない、死なせてはいけない
過去、大地震(南海トラフ巨大地震)のたびに、大阪は津波に襲われ大きな被害を出してきた。例えば1854年12月安政南海地震の時のことが、大阪市大正区・大正橋の東詰にある「大地震両川口津浪記(だいじしん りょうかわぐち つなみき)」という石碑に刻まれている。その碑文を要約すると「安治川(旧淀川)、木津川から山のような大津波が押し寄せ、東堀まで入り込み、安治川橋、亀井橋、高橋、水分、黒金、日吉、汐見、幸、住吉、金屋橋などが、津波によって流された大船・小船の破船や破壊された建物の残骸が大波と共に、橋や建物を破壊した。船場島の内までも津波が押し寄せ、水死、けが人が多数出た。1707年の宝永地震の時も同じ事が起きていて、みんな知っていたはずなのに、また同じことが起きてしまった。こうした災害を繰り返さないために、溺死者の供養を兼ねてこの石碑を建てた」というようなことが書いてある。大阪の市街地はゼロメートル地帯が多い。過去に起きた津波災害と同じようなことを、南海トラフ巨大地震で繰り返さないために、歴史に学び、現代の知識と知恵を活かしてほしい。災害なんかで死んではいけない、死なせてはいけないのだ。 なお、関連記事<じつは「南海トラフ巨大地震」では「東京」も大きな被害…その具体的な想定の数値>では、東京での被害について詳しく解説しています。
山村 武彦(防災システム研究所 所長・防災・危機管理アドバイザー)