市川團十郎、同い年・尾上菊之助の「菊五郎襲名」への思い「歌舞伎の未来を想像しながら切磋琢磨していきたい」
新時代の「團菊」を―。市川團十郎(46)が、このほどインタビューに応じ、盟友・尾上菊之助(46)の8代目尾上菊五郎襲名を歓迎した。5月27日の会見で菊之助が團十郎に「スクラムを組んでやっていきたい」と発したのを受け、「手を取り合って切磋琢磨(せっさたくま)を」と快諾した。(有野 博幸) 音羽屋の襲名会見から3日後。團十郎は5月30日、大阪・道頓堀で3000人の観衆に「にらみ」を披露した直後、大阪松竹座で本紙の取材に応じた。7月公演も取材目的だったが「それ(襲名の話)を聞きに来たんですよね。分かってますよ」。記者の狙いはお見通しだった。 幼少期から、大名跡を継ぐ宿命を背負ってきた者同士。團十郎の、菊之助に対する思いには独特なものがある。團十郎と菊之助は1977年生まれの同級生。しかも小学校から高校の途中(團十郎が転校)までは同じ学校に通っていた。 「ライバルというより仲間。もちろん、会えばよく話します」。成田屋の「市川團十郎」と音羽屋の「尾上菊五郎」は歌舞伎を代表する大名跡。会見で菊之助は「スクラムを組んでやっていきたい」と團菊新時代に思いをはせた。團十郎は「そうなればいいですよね。力を合わせ、手を取り合って、歌舞伎の未来を想像しながら切磋琢磨していきたい。当然、やりますよ」。 実は「スクラム」は2人にとって特別な意味を持つ言葉だ。「小学生のころ、同じ学校で一緒にラグビーをやっていたんです。ニュージーランド遠征にも行った。現地では別々の家庭にホームステイしたんだけど、僕も彼も坊っちゃん育ちだから、向こうの食べ物とか環境に苦労してね。朝、会うとゲッソリした顔をしていましたね(苦笑)」。ポジションは2人ともバックスだった。 團十郎が市川新之助だった頃、尾上辰之助だった尾上松緑(49)を含めた3人で「平成の三之助」として脚光を浴びた。当時21歳の新之助(現・團十郎)が99年の新春浅草歌舞伎で初めて「勧進帳」の弁慶を勤めた時には辰之助(現・松緑)が富樫、菊之助が義経だった。 それから23年の時が流れ、22年11月の歌舞伎座、13代目團十郎襲名披露では「助六由縁江戸桜」で團十郎が助六、菊之助が揚巻、松緑が意休。歌舞伎ファンの胸を熱くさせた。「この世代を中心に頑張っていきたいという意思表示として菊之助さん、松緑さんにお願いしました。歌舞伎の未来として提示しました」。それぞれ持ち味を発揮する3人は、歌舞伎界をけん引する立場にいる。来年5月から始まる菊五郎襲名披露の詳しい配役はまだ発表されていないが、團十郎が何を演じるかも注目だ。 一方、菊之助の8代目菊五郎襲名の発表と合わせ、父の当代菊五郎の「菊五郎」続投も明らかになった。團十郎は「菊五郎さんには『弁天小僧』『め組の喧嘩』を教えていただいた。舞台稽古にも来ていただいて、ご恩がある」と敬意を表し、2人の菊五郎が併存することは「音羽屋(菊五郎)さんのお考えがあるんだと思います」と受け止めている。 ◆十月大歌舞伎では親子で「連獅子」 團十郎は、13代目團十郎襲名披露興行のラストとなる大阪松竹座「十月大歌舞伎」(10月10~26日)で、長男の市川新之助(11)と「連獅子」で親子共演する。これまで東京・歌舞伎座でも同演目の打診はあったが、「大阪で披露したい」と決めていたという。また、新之助の今後について「声変わりになりそうなので、そろそろ踊りに注力する時期かな」と明かした。
報知新聞社