【今週はこれを読め! SF編】語りの技巧が冴えるスパニッシュ・ホラーの傑作~サマンタ・シュウェブリン『救出の距離』
作者サマンタ・シュウェブリンは1978年アルゼンチン生まれ。二十一世紀初頭より作品発表をはじめると、たちまち評価を獲得し、国内外のいくつもの文学賞に選出される。本書もシャーリイ・ジャクスン賞中長篇部門を受賞し、国際ブッカー賞最終候補作にもなった。 この作品全体は、次のような層で構成される。 (1) 病院のベッドにいる女性アマンダと付き添う少年ダビとの会話 (2) 断片的に想起されるアマンダの記憶 (3) アマンダが隣人の女性カルラから聞いた忌まわしい事件 (1)の層で、ダビはアマンダから何かを聞きだそうとしているようだが、ふたりのやりとりはアマンダ(自分の置かれている状況を把握できずにいる)の記憶をじわじわ引きだすように進み、問題の核心へとストレートに向かわない。ダビは少年とは思えないほど大人びた話し方をするが、またいっぽうで「虫が体に入り込む」などと謎めいたことを口走る。 (2)の層の内容は、すこし過去のできごとだ。アマンダは最近、幼い娘のニナをともなって別荘へやってきた。アマンダは始終、ニナの安全を気にしている。娘に何ごとかあったら即座に対応するための概念が「救出の距離」だ。アマンダは、その距離を糸の張力のように感じている。アマンダは別荘のまわりを警戒する。たとえば近所に住む女性カルラだ。どこか胡乱な印象がある。しかし、それが根拠のあるものか、アマンダの神経によるものかはわからない。アマンダは信頼できない語り手でもある。 (3)の層は、(2)よりもさらに過去のできごとだ。アマンダがカルラから聞いた話である。カルラにはダビという息子がいる(あるいはいた)。そう、(1)の層でアマンダとやりとりをしているダビである。ダビは小川の水に入っていた毒に触れてしまい、パニックに陥ったカルラは、ダビを呪術医の元へと連れていく。呪術医はダビの身体はこのままでは毒には耐えられないが、魂を移住させれば、ふたつの身体で毒を分けあうことができ、状態を軽減できるかもしれないと告げる。しかし、魂が誰に移住するかはわからない。カルラはダビの魂の移住を選択するが、その後、自分の息子が変わってしまったと感じ、恐怖さえ覚えるようになる。 以上、(1)(2)(3)の層は、語られている時間も、語る視点も異なるが、まったく独立しているわけではなく、アルゼンチンの一地上で起こった不吉かつ不可解なできごと(その全体像は最後になるまでわからないが)に連なっていることが予感される。また、みっつの層は章立てのように分かれておらず、ひとつらなりの文章のなかでその界面が揺らぎ、相互に貫入する部分もある。アマンダの意識はシームレスに、ダビと話をしている現在から、カルラと一緒にいる近過去へと移行する。また、現実に起きていることと夢で見ていること、あるいは妄想や幻覚のようなことも、段差なくつながっている箇所もある。 ホラーとしての芯(超自然的な要素)はダビの魂の移住だが、これも実際のことなのか判然としない。ただ、(1)の層でアマンダと話しているダビは、先にも述べたように、とても少年とは思えない話しぶりだ。彼はアマンダから話を引きだそうとするが、そのいっぽうで、自分が知っている秘密はいくらアマンダが訊ねても話そうとはしない。ただ、彼の言葉のなかに「この十年間、村を呪いつづけてきたもの」という表現が出てくる。 不吉なできごとをめぐる記憶と事実の混乱においても、三層の物語が錯綜する作品構成においても、終始、サスペンスの強度が維持される。そして、ふた組の親子(アマンダとニナ、カルラとダビ)の運命は、衝撃的なクライマックスへとなだれこんでいく。 (牧眞司)