「一か八かの賭けに出るしかない」別海高校は甲子園出場を勝ちとるためにチーム一の問題児をキャプテンに任命した
そんな様子を間近で見ていた寺沢は、「自分がキャプテンじゃなかったら、中道になってほしい」と、かつて苦手だった相手にリーダーを託すようになっていった。 「2年の夏あたりにはもう、だいぶ変わっていましたから。相変わらずお騒がせな面はあったんですけど(笑)、いつも中心にいるのは彼だったんで。自分たちの代になったら、チームのキーマンになるんじゃないかって」 キャプテンが正式にチームに通達された直後、中道と副キャプテンとなる寺沢、マネージャーの中岡真緒、そして監督が意志を確かめ合い、本格的に新体制がスタートを切った。 主軸として機能できず、3年生の夏を早々と終わらせてしまったことへの悔過(けか)。なにより、周囲の期待を込められたうえでのキャプテン任命に、中道の背筋が伸びる。 「自分がやるとは思っていなかったんですけど、キャプテンに選ばれたからには『やるしかない』って気持ちになりました」 自立した4人の3年生に、ただついていくだけだった10人の2年生が中心となった新チームのスタートは順調ではなかった。 野球部の連絡事項を伝える、1日の練習メニューを共有するといった、それまでの当たり前が滞るようになる。フリーバッティングの練習では、マシンの変化球を誰も設定できないなど、細かいところで支障をきたす。そんなシーンが目立つようになった。 前キャプテンだった千田晃世の弟で、下級生時代からセカンドのレギュラーとしてチームを支えてきた涼太が、当時の苦悩を語る。 「兄の晃世とか3年生がしっかりしていたんで、自分たちは先輩に任せっきりだったというか。それが、新チームになって『誰かがやってくれるだろう』と甘えになって出てしまって。新チームになった最初のほうは、なかなかいい状況にならなかったですね」 不安定な立ち上がりとなった新チームにおいて、精神的支柱となったのがキャプテンの中道と、彼を支える副キャプテンの寺沢だった。
ミーティングで「一から練習の取り組みを変えていこう」と訴える。ムードメーカーの中道に軽さが見えれば、キャプテンシーが備わっている寺沢が引き締める。そうやって、エースであろうが4番バッターであろうが、皆と同じように道具運びをするといったように、やるべきことを共有できるようになった。 元問題児のキャッチャー。プロ野球の名将として知られる野村克也の言葉を借りれば、中道は態度が変わり、行動が変わった。 「秋は全道でベスト4。夏は北北海道で優勝」 キャプテンを中心に明確な目標を掲げた別海は、運命を変えようとしていた。 つづく>>
田口元義●文 text by Taguchi Genki