「臓器を抉って高く掲げる」仕事…文春を「国のタカラ」とまで褒めちぎる司馬遼太郎が語った「文藝春秋」の”神髄”
権力の監視はメディアの使命なので「御用記者」に成り下がってはいけない。しかし、政治家にただ厳しい言葉を重ねても、それは真の「批判の剣」ではない。そんなジレンマを抱えながら、安倍晋三、菅義偉、梶山静六、細川護熙をはじめとする大物政治家たちから直接「政治」を学び、彼らの本質と向き合った「文春」の元編集長がいた。 漫画】刑務官が明かす…死刑囚が執行時に「アイマスク」を着用する衝撃の理由 数々のスクープをものにした著者がキャリアを赤裸々に語りつくした『文藝春秋と政権構想』(鈴木洋嗣著)より抜粋して、政権幹部と語り合った「密室」の内側をお届けしよう。 「文藝春秋と政権構想」連載第5回 『政治記者は経済政策に無関心!?...週刊文春元編集長が気付いた、大手メディア“だからこそ”の「構造的弱点」とは』より続く
司馬遼太郎さんの「文藝春秋」論
わたしは、生前の司馬遼太郎さんに直接お目にかかることのできた最後の世代になる。学生時代、司馬さんの著書はほとんど読んでいたし、その著作がいかにして書かれたのか、一次資料も読み漁っていた。そのおかげで文春にも入社できたと思っている。 そんな存在の司馬さんは文藝春秋を愛してくださった。「愛用の万年筆」といった趣ではあったが、一夜、お酒を供にする機会があり、居並ぶ文春幹部の横で、司馬さんの「文藝春秋論」を聞いていた。 司馬さんは「文藝春秋はこの国のタカラだ」と仰った。その神髄は「リアリズムであって、相手の心の臓を目掛けて手を差し込み、その臓器を抉って高く掲げ、その血のしたたるサマまでしっかりと書くのが文春の仕事だ」といわれた。何より大切なことは、物事の本質を見極めて、そこを記事にすること。もっと上品な表現だったと思うが、わたしは司馬さんの言葉をそう理解していた。
「本質」と向き合う記事へ
贔屓目なのだろうが、文春の役割を明確に示していただいたと思っている。それからは、司馬さんの言葉を胸のど真ん中に置いて仕事を進めてきたつもりだ。 冒頭、黒子であるのに気持ちが変わったと書いた。それは、リーク全盛のメディア、SNSで拡散する真偽不明、有象無象の情報過多の時代にあって、自分のしてきた仕事もひょっとすると世の中に伝える意味があるのではないかと考えたからだ。ジャーナリズムのあり方も多様で重層的な、さまざまなアプローチがあってもいいと思う。 一方の陣営から得たリークされた情報を相手サイドに当てて(事実確認をすること)書く、そんなスタイルの記事があまりにも多いのではないか。むろん自分もそうした仕事を数多く手掛けてきたのであって、その重要性もよくわかる。政権を倒すことに繋がったスキャンダルも、いくつか関わった。 だがしかし、そうしたジャーナリズムばかりじゃない気もする。司馬さんの言われた「リアリズム」のある、本質を捉えた記事を書きたいと思ってきた。
鈴木 洋嗣