悼む 西田敏行さん、来阪するたびに愛する阪神について熱弁をふるっていた
俳優の西田敏行(にしだ・としゆき)さんが東京都世田谷区の自宅で死去したことが17日、分かった。熱烈な阪神タイガースファンで知られる西田さんを取材したサンケイスポーツ文化報道部映画担当の笹井弘順記者は、来阪するたびに愛する虎について熱弁をふるっていた姿を振り返った。 【写真】大人気ドラマ「ドクターX」で共演した西田敏行さんと米倉涼子 西田敏行さんを初めてお見かけしたのは1991年、映画「釣りバカ日誌4」の和歌山県由良町ロケ。合同取材明けの翌朝、穏やかな海をながめながら港に座り込んで大阪へ戻るバスを待っていると、釣りロケに向かう西田さんと三國連太郎さんが現れ、車座になって〝囲み〟が始まった。 取材ではなく雑談。暖かい太陽の下で三國さんが喜劇の難しさ、それを見事に演じる西田さんのすごさを力説していたことを記憶しています。駆け出しの映画担当には夢のようなひと時でした。 それから数年後。熱烈な阪神タイガースファンで知られる西田さんが「釣りバカ」のキャンペーンで来阪した際、配給の松竹に「阪神のこと、聞かせて」とインタビューをお願いしたらOKが出た。以後、新作が公開されるたび〝大阪ではサンスポが阪神について聞く〟ことが恒例に。西田さんも、インタビュー前の会見で私を見つけると、「後でね」とウインクし、指さしてくださるまでになってました。 そんな機会がなくなったのは、西田さんがABCテレビ「探偵!ナイトスクープ」の2代目局長に就任し、収録のため隔週で来阪するようになった2001年。シーズンの総括や、就任した新監督への期待を語ってもらうため、ABCが在阪スポーツ紙放送担当の囲み取材を設定してくれていました。 数年ぶりの単独インタビューは初代局長、上岡龍太郎さんの長男でもある小林聖太郎監督の映画「マエストロ!」に出演した2015年1月17日。阪神大震災から20年のこの日、4年前に故郷・福島が見舞われた東日本大震災の復興に尽力していた西田さんは、「痛いですよ、胸がキューンとしてくる。津波が引いた後の戦場みたいな光景が(阪神大震災と)ダブりましたからね。日本は自然災害と対峙しながら生活しなきゃならない。せめて日本は、人と人のいさかい事はやめて、みんなで元気でいきたいなぁ」と話しておられました。 このとき、関係者によると、西田さんは膝を痛めていて、舞台あいさつのために控室からステージへと続く階段には特別に手すりが取り付けられたそう。
そんな弱みは一切見せず、もちろん阪神についても「去年(14年)クライマックスシリーズを仕事の途中に見てたら(渡辺)謙ちゃんがネット裏にいたから『ご苦労さま。現場まで行ってくれてありがとう』ってメールしたんですよ。謙ちゃん、点が入ったらバンザイしてて、いいところに座ってたなぁ。悔しかった」と笑顔で語ってくれた西田さん。局長を続けていたら、そろそろシーズン総括囲み取材の時期なだけに、藤川球児新監督に熱いエールを送ってたやろなぁ。