「無惨な最期」で戦死した部下…遺族と面会した元指揮官が取った思いがけない行動とは #戦争の記憶
戦死した父の元上官が、床に両手をつき……
同じ年の冬、もう一組の北海道の遺族と一緒に横浜にある伊東大隊長の自宅を訪ねた。大隊長は、その席でいきなり床に膝を折り、両手をつき頭を下げる。 「私は、皆様の大事な親御さんを戦死させた責任者のひとりです」 ポロポロと涙がこぼれた。 「太平洋戦争は無謀にして、実に愚かな戦争でした。にもかかわらず我が大隊の将兵の戦いぶりは実に傑出したもので、誇るに足ると確信しています。これが根底にあり、ご遺族に無駄死にでなかったことをお伝えするのが責務と感じていました」 一気に話し、さらに言葉を続ける。 「終戦とともに軍は解体させられ、国家として戦死を伝達する組織さえ失っていたのです。ご遺族を思えば、一刻も早く立派な戦死であったことを伝えるのが、指揮官であった私の責務。その思いがご遺族への手紙となりました」 今は白髪となった大隊長の渾身の謝罪に、誰も言葉を発する者はいない。 後に紀さんは、このように語った。 「母と義父が一緒に伊東元大隊長を訪ねていたことを、初めて知りました。今から思えば、よくぞ母の手紙を残してくれたものです。これがなければ、戦没した父と母の愛や想いを理解できませんでした。伊東さんには、心からの感謝を申し上げたい」 【終】 *** ※『ずっと、ずっと帰りを待っていました 「沖縄戦」指揮官と遺族の往復書簡』より一部抜粋・再編集。
デイリー新潮編集部
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