「フライデーには苦い思い出が……」『くりぃむしちゅー』上田晋也 芸歴33年の「苦悩とやりがい」
レギュラー番組は11本! 「大御所」と呼ばれる立場の一方で、ほかの同年代と変わらない全方位に気を遣いまくる″意外すぎる素顔″があった――
「『フライデー』には苦い思い出があるよ! ’07年に、徳井(義実・48)や河本(準一・48)たちとの飲み会が載ったことがあったんです。でも、僕だけなぜか目線入れられていて(笑)。写真が粗かったのもあるのかもしれませんが、『あれ? 僕だけ一般人に間違えられてない!?』って。だからって本当のスキャンダルを載せられても、勘弁してくんない? ってなりますけど(笑)」 【画像】『くりぃむしちゅー』上田晋也にスペシャルインタビュー "意外すぎる素顔"写真 出だしからまくし立てるようにこう語るのは、お笑いコンビ『くりぃむしちゅー』の上田晋也(53)だ。最新エッセイ『赤面 一生懸命だからこそ恥ずかしかった20代のこと』(ポプラ社)が話題となっている上田だが、執筆活動をする中で、あることに気付けたという。 「もう50歳を超えましたが、本質的には若手時代から変わってないんですよね。たとえば『上田と女が吠える夜』(日本テレビ系)で、20歳そこそこの若いタレントが『インスタがどうの、ストーリー機能がどうの』と話しているじゃないですか。何を言ってるかさっぱりわかんないんだけど、適当に『わかってますよ』って感じで振る舞っちゃう。素直に知らないって言えないんですね。熊本から上京した20代の時、よく知りもしない東京で『アルタ前ってどこですか?』って聞けずに、待ち合わせに2時間遅刻していた頃のまま。いまだに恥ずかしいところだらけです」 とはいえ芸人としては大きく飛躍した。コンビの冠番組を含め、レギュラー番組は11本と、もはや「大御所」と呼んでもいい。だが、こちらの言葉に上田は「普通の50代のオッサンです」と語る。理由を聞くと、若手にもコンプラにも気を遣う日々を明かした。 「若手への言葉使いや態度に気を揉(も)むのは当たり前。カメラが回ってないところでも、たとえばエレベーターに乗り合わせた時とか、『今日は何の収録なんだ』『あの番組見たぞ』とか、話しかけたりします。先輩は当たり前として、後輩にこんなに気を遣うなんてちょっとおかしくねえか? と思ったりもする。いっそのこと、誰か『この時はどっちから声をかける』とかルールを作ってくれません?(笑)。まぁ、自分から話すほうが気楽でもあるんで。性分ですかね」 MCとして番組を仕切る際は、コンプライアンスにも縛られている。 「以前だったら普通に『お前バカだろ!』と言えた場面で、今はせめて『おバカ』って言わなきゃいけないかな。いい女ぶっている女芸人だって、以前ならもっとキツい言葉でガツンとツッコんでたけど、今はルッキズムって言われちゃいますから、『やかましいわ!』くらいですよね。とくに生放送だとブレーキが強めになる。後から『もっと強くいけたな』とか反省することは何度もありますよ」 しかし、上田にはオッサン特有の「昔は良かった」という雰囲気は微塵(みじん)もない。今の芸能界に息苦しさを感じることはないのだろうか。 「たしかに気を遣うことは増えましたが、じゃあ今までのやり方が正しかったのかっていうと、けっしてそうじゃない。やっぱり我々の世代は、ハラスメントの感覚がわかってないんです。子供の頃から部活で監督や学校の先生にブン殴られるのは当たり前だったし、親だって『ウチの子が悪さしたらブン殴ってください』っていうのが普通でした。 でも今の時代で、暴力で躾(しつけ)を叩き込むなんてありえない。それ以外に伝える方法はいっぱいあるわけで。令和においては、昭和の感覚のアップデートっていうより、昭和の感覚の否定くらいでやっていかなきゃいけない。そうでないと、それこそ『恥ずかしいこと』になると、僕は思っているんですよ」 ◆「自分の歩幅」のやりがい 今、芸能界は大きな転換期を迎えている。その中で、活動の主軸をネットの世界へ広げる芸人も多いが、「テレビが好きで入った世界だから」と、上田はその第一線で踏ん張り続けている。’91年の活動開始から芸歴は今年で33年目。モチベーションを維持し続ける”やりがい”はなんなのか。 「20代の頃は、『15年後に天下取る!』なんてハッタリをかましてましたけど、大言壮語ばかり言って、結局は有言不実行な自分がこっぱずかしくなった。それこそ本のタイトルにしたように、『赤面』っていうかね。ビッグマウスな芸風も、思えばしっくりきてなかった。若い頃に掲げた理想像になかなか近づけない中で、30代に入った頃から、なんとなく自分の歩幅でやってくしかねえか、みたいに変わっていったんです。 僕は、自家発電はできないけど、ツッコミの立場で誰かの電源のスイッチを入れてあげることはできるかもって思っています。それこそ『笑いの触媒』として、他人の良さを引き出すという感じで。歳を重ねて、そういう新しいことにやりがいや面白みを感じられるようになったんです。それがなくなれば、また新しいやりがいを見つければいいだけ。それしかないでしょう」 その中で仕事に向き合う独自の考え方も構築してきた。 「僕はあまり緊張しないタイプなんですが、それはいい意味で『頑張らない』からなんです。本番で、練習以上のことを出そうとするから緊張したり、疲れたりする。そこは割り切って、できることを全力でやればいいんです」 最後にこれからの野望を聞くと「もう50代ですよ? 青写真は描かない。目の前のことをやるだけです」と淡々と語った。これからも自分のペースで、お茶の間に笑顔を届け続ける。 ◆うえだ・しんや/’70年生まれ、熊本県出身。’91年、高校の同級生だった有田哲平と『海砂利水魚』を結成しデビュー。’01年に現在のコンビ名に改名した。’21年からは毎年エッセイ本を上梓しており、11月22日には3作目の『赤面 一生懸命だからこそ恥ずかしかった20代のこと』(ポプラ社)が刊行された。 『FRIDAY』2023年12月22日号より 取材・文: 渥美志保(フリーライター)
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