「日本とは、日本人とは」なんだろう…全国すみずみまで歩いて見えた「日本人の本当の姿」
『忘れられた日本人』で知られる民俗学者・宮本常一とは何者だったのか。その民俗学の底流にある「思想」とは? 「宮本の民俗学は、私たちの生活が『大きな歴史』に絡みとられようとしている現在、見直されるべき重要な仕事」だという民俗学者の畑中章宏氏による『今を生きる思想 宮本常一 歴史は庶民がつくる』が6刷とロングセラーとなっている。 【写真】女性の「エロ話」は何を意味しているか? 日本人が知らない真実 ※本記事は畑中章宏『今を生きる思想 宮本常一 歴史は庶民がつくる』から抜粋・編集したものです。
「心」の民俗学と「もの」の民俗学
人文科学の諸領域は「私たちはどこから来たのか」「私たちはなにものか」「私たちはどこへ行くのか」という命題を追究するものだと私は理解している。歴史学も社会学も、人類学も民俗学も、究極の目的は、こうした命題を明らかにしていくことに間違いないだろう。 またそれは、人文科学にとどまらず、社会科学でも、自然科学でも目的とされていることなのではないか。そしてその目的に至る方法や対象の違いによって、学問の性格が異なってくる。 民俗学もまた「私たちはどこから来たのか」「私たちはなにものか」「私たちはどこへ行くのか」を追究してきた学問である。ほかの学問でもそうだが、追究しようとする「私たち」がどこまでを含むのかも大きな問題になる。学問領域によっては「人間」「人類」、あるいは「生物全般」を含む場合もあるかもしれない。 柳田国男(1875~1962)は20世紀の日本列島に住む日本人を「私たち」とあらかじめ措定して民俗学をはじめた。 そして「私たち」の起原(どこから)、定義(なにもの)、未来(どこへ)を追究・探求する際、柳田は「心」を手がかりにし、「心」の解明によって明らかにできると考えたのだ。 そのとき「心」を構成する資料は、民間伝承、民間信仰から得られるものだと考えたのである。この柳田の直観、あるいは思想が「日本民俗学」の発端となり、「日本民俗学」の性格を決定づけたのである。 これに対して宮本常一(1907~1981)は「もの」を民俗学の入り口にした。たとえば生産活動などに用いてきた「民具」を調べることで、私たちの生活史をたどることができると考えた。そして民俗学における伝承調査を、「もの」への注目に寄せていくことで、私たちの「心」にも到達できると考えたのだった。