近畿王者の東洋大姫路、「古豪」からの脱却目指す OBの岡田龍生監督「後輩が頑張った」 ベースボール千一夜
高校野球の秋季近畿大会は東洋大姫路(兵庫)の17年ぶりの優勝で幕を閉じた。履正社(大阪)を2019年夏の全国制覇に導き、22年春から母校で指揮を執る岡田龍生(たつお)監督(63)は「本当に後輩(選手)たちが頑張ってくれた」と感謝した。 【写真】秋季近畿大会を制して胴上げされる東洋大姫路の岡田監督 そんな岡田監督の話の中で印象に残る言葉があった。「監督として帰ってきたとき、母校は『古豪』と呼ばれていた」。チームを言い表す言葉のひとつである「古豪」。歴史が長く、現在も高いチーム力を持つのが「名門」、歴史は名門には及ばないが、全国大会の常連となっているのが「強豪」とすれば、「古豪」は「かつては強かったけど、今は…」というイメージがある。 東洋大姫路は岡田監督が就任する直前の22年春の選抜大会に出場したものの、その前の甲子園は11年夏と10年以上もブランクがあった。「かつてはユニホームの(胸文字の)「TOYO」だけで相手を怖がらせていたと先輩方から聞きました」。全国舞台から遠のくと、威圧感はダウンしてしまうものなのか。 東洋大姫路が黄金時代を築いていたのは1970年代。77年夏には唯一の全国制覇を成し遂げた。優勝投手となったのは左腕エースの松本正志(しょうじ)。ドラフト1位で阪急に入団した。 ストレートは速くて重く、まさに剛速球。将来が期待されたが、プロ通算では1勝。素人目にはもっと活躍してもいいはずと思ったが、先日、元阪急の選手から興味深い話を聞いた。 松本の1年目、78年のヤクルトとの日本シリーズ第7戦、ヤクルトの大杉が放った左翼ポール際の本塁打に対し、阪急の上田監督がファウルを主張して1時間19分の猛抗議を行った。待たされていた先発の足立は降板し、2番手で登板した松本がマニエルに本塁打を打たれた。元選手は「上田監督は松本を投げさせるつもりはなく、勉強のためのベンチ入りだったが、緊急登板させてホームラン。外国人打者が苦手になり、大成できなかった」と振り返る。勝負の成り行きが、ひとりの投手の運命を変えたといえる。 ただ、「TOYO」のユニホームを着た高校時代の松本は輝いていた。大リーグでも活躍した長谷川滋利(しげとし)(元オリックス)、03年春にチームの4強入りに貢献したベトナム国籍のグエン・トラン・フォク・アン、甲斐野央(ひろし)(西武)、原樹理(ヤクルト)ら、チームが輩出した好投手の元祖といえた。
出場は確実となっている来春の選抜大会。近畿を制して胴上げされる前、岡田監督は「センバツの練習や」と選手に声をかけた。現チームにはプロが注目する右腕、阪下漣(れん)がいる。東洋大姫路の好投手の系譜を継ぐエースを擁し、目指すは常勝軍団となり、古豪から脱却することだ。(鮫島敬三)