なぜ私たちは「クソどうでもいい仕事」に苦しむのか…昔の働き方が解きほぐす「仕事の常識」
「クソどうでもいい仕事(ブルシット・ジョブ)」はなぜエッセンシャル・ワークよりも給料がいいのか? その背景にはわたしたちの労働観が関係していた?ロングセラー『ブルシット・ジョブの謎』が明らかにする世界的現象の謎とは? 【写真】日本人が知らない、「1日4時間労働」がいまだ実現しない理由
なぜ無意味な仕事をするのか
そもそも、なにゆえ人は、実質的にやることがないのに仕事をでっちあげてでもさせようとするのか、しなければならないと考えているのか、です。 仕事は、ひとまずなんらかの目的達成を名目としているはず。だったら目的達成したら、その時点で帰ってもいいとなりそうなものです。 「市場原理」からしても、です。ところが、そうならないから、BS J(編集部注:ブルシット・ジョブ[Bullshit jobs]の略語)が生まれ、数々の証言となって『ブルシット・ジョブ』に報告されているわけです。 グレーバーはここでじぶんが学生時代にバイトした例をあげています。レストランのバイトです。 バイト仲間といっしょに、最初はいわれた作業を最速で仕上げようと、全力をあげて短い時間で与えられた作業を終えます。当然、ボスからはほめられるとおもいますよね。 ところが、ほめられるどころか、イヤな顔をされて、怠けるんじゃないよ、と叱られます。それでグレーバーたちは、つぎからはのろのろと仕事をすることにした、とそんなエピソードです。 作業を効率よくすますことよりも、とにかく仕事時間中はずっと仕事をしている様子をみせることや、がんばっているふりをしていることのほうが大事、ということは往々にしてあるのです。
普遍的な仕事のあり方
実は、労働するとは、だれかがじぶんの時間を買ったことだ、だから、その時間内は労働をしなければならない──たとえすることがなくても──という発想は、けっして普遍的なものではありません。それどころか人類の歴史のなかでは、きわめてマイナーな、しかもごく最近生まれた「常識」であり、慣習でしかありません。 それでは、より普遍的な仕事のあり方はどのようなものか。それは「周期的激発性」といわれるようなものです。 つまり、仕事にふさわしいとき、それが必要なときに集中的に仕事をして、それ以外は、ぶらぶらしているとか、好きなことをしているとか、寝ているといったありようです。 狩猟採集民はそうですし、農民も典型的にそうです。 繁忙期と農閑期がわけられ、人はそこで繁忙期に集中的に労働をします。 あるときには、種まきや収穫に全人員と全精力がつぎこまれますが、そうでないときには、道具の手入れや縫物、こまごまとした作業、あるいはたんにぶらついたりしてすごす、こうした周期的パターンです。 技術が向上して生産力も上がった江戸末期には、農村では休息日が一年のうちの相当を占めるようになっていたという話はきいたことがあるかもしれません。これはヨーロッパもおなじです。 もう少し身近で考えれば、たとえば職人を考えてもいいかもしれません。あるいは、作家でもいいかもしれません。 もっというと、これはグレーバーが好んであげる例ですが、みなさんのほとんどがおもいあたることです。 つまり、多くの人は、いま学生であるかどうかはともかく、ふだんから勉強しているわけではなく、試験間際に、それこそしばしば劇的に集中的に勉強したでしょう。もちろん、ふだんからコツコツと勉強して、試験にもあわてないという人もいるとおもいます。ですが、それは希有でしょうし、そういう人物のほうがとかく「変態」扱いされがちですよね。 わたしたちの同業者も、原稿を書くにあたって、たぶんよっぽど立派な人でないかぎり、締め切り間際になって、あるいは締め切りがすぎてから(!)、激発的に仕事に集中しているとおもいます。 つづく「なぜ「1日4時間労働」は実現しないのか…世界を覆う「クソどうでもいい仕事」という病」では、自分が意味のない仕事をやっていることに気づき、苦しんでいるが、社会ではムダで無意味な仕事が増殖している実態について深く分析する。
酒井 隆史(大阪公立大学教授)