こいのぼり、揚げちゃダメ!?愛媛のある地域に残る「ちょっぴり怖い」言い伝え 後編
昔の合戦で敗走した武士がこいのぼりによじ登って隠れていたところ、敵に見つかって殺された―。こんな言い伝えから、松山市星岡地域では、こいのぼりを揚げない習わしが続いています。しかし、同様の言い伝えは県内でいくつも見られるそうです。どこで、またどういった理由で…?(伊藤愛) 愛媛県歴史文化博物館・専門学芸員の大本敬久さんによると、1960年代には、東中予15~20カ所でこいのぼりを立てない習わしがあるとの記録がありました。中世から戦国時代に由来した伝説が理由になっていることが多いそうです。 愛媛県史にも、こいのぼりを禁忌とする地域の事例が載っています。例えば松山市伊台地区では、こいのぼりが風になびく音で馬が驚き、動かなくなったため敵に殺されたことからタブーになったとされます。 大本さんによると、こいのぼりを揚げない理由には次のようなパターンがあるそうです。 ①こいのぼりに登って敵に見つかって殺される ②こいのぼりの下敷きで死ぬ ③風でなびいたこいのぼりに巻き付かれて死ぬ そもそも、こいのぼりが庶民の間で浸透し始めたのは、江戸時代後期から。禁忌となっている言い伝えは「江戸時代以降に作られた伝説が多い」とみています。星岡町の言い伝えについては「のぼりを立てない風習の事例を並べると、戦国時代がほとんど。近くに古戦場があったため、鎌倉時代を起因とする伝説になった可能性がある」と言います。 では、なぜこのような言い伝えが多いのでしょうか。 端午の節句はもともと旧暦の5月5日に行われていました。今なら6月5日ごろです。梅雨に入る頃のじめっとした時期で、こいのぼりが広まる以前から悪霊をはらうなどの意味合いもあったそうです。大本さんは「悪い霊を鎮めるという御霊信仰との関わりが強く、不慮の死を遂げることなどと結び付けられやすかったのでは」と推察します。
愛媛新聞社