辰年だからこそ、2年連続最下位でも何かが起きる! 世間の暗雲を跳ねのけ“立浪竜”はてっぺんを目指せ!【堀内恒夫の悪太郎の遺言状】
水原、与那嶺は“新聞戦争”で監督に 巨人のV9黄金時代を終焉に導いた!
2011年の中日最後のリーグ優勝のときも落合監督の下で「投手王国」を築いていた。辰年の今季、立浪監督にも“チームカラー”を前面に打ち出し、てっぺんを目指してほしい
前号のこの連載コラムでは、巨人と阪神の監督に関して筆を執らせてもらった。続いて今号では、中日の監督とチームカラーについて論じてみたい。 中日では1950年の2リーグ分立以降、天知俊一さんから始まり77年まで、坪内道典さん、野口明さん、杉下茂さん、濃人貴実(濃人渉)さん、杉浦清さん、西沢道夫さん、水原茂さん、与那嶺要さんの延べ12人、計9人の監督が指揮を執っている。 中日は36年1月15日に創設された、日本プロ野球でも巨人、阪神に次ぐ長い歴史を持つ老舗球団だ。しかし、意外なことに中日色の強い監督が少ない。この時代には天知さん、杉下さん、杉浦さん、西沢さんの4人以外はすべて「外様の大物」と言うべき人を連れてきて、監督の座に据えている。 俺が巨人に入団してから4年目の69年には、川上哲治さんが監督就任する以前に在任11年で8度のリーグ優勝と4度の日本一に輝いた、巨人OBの名将・水原さんが中日の監督に迎え入れられた。 水原さんの次に72年から監督を務めたのは、同じく巨人OBで日系二世の与那嶺さんだった。与那嶺さんは就任3年目となる74年に、20年ぶりとなる球団史上2度目のリーグ優勝を達成している。 奇しくも、この年に巨人はわずか勝率1厘差でリーグ優勝を逃し、前年まで続いていた9年連続リーグ優勝とシリーズ連覇のV9黄金期が終わりを告げた。与那嶺さんは巨人の黄金期にピリオドを打つ役割を演じたのだ。 ところで、なぜ中日が水原さんや与那嶺さんの巨人OBを立て続けに監督の座に据えたのか。その理由は、中日新聞と読売新聞という両球団の親会社による“新聞戦争”が介在していたから。だから、俺たちは中日と戦うよりも前に・・・
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週刊ベースボール