なぜ「一流のリーダー」は部下を味方にできるのか?「ナメられるリーダー」に足りない2つのこと
● リーダーは「教祖」ではなく 成功の原理原則を説く「宣教師」であるべき 私は宗教団体が一番強い組織だと考えていますが、それは「考え方」を求心力にしているからです。だからといって、リーダーは「教祖」になれと言っているわけではありません。 私は、経営者に経営の心得を話すとき、教祖になってはいけない、成功の原理原則を説く「宣教師の親分」になってくださいとお願いします。 どういうことかというと、本質を語る人たちは、長い間多くの人が正しいと言ってきたことをベースに話をしています。 言い回しは違っているかもしれないけれど、自分がオリジナルで考え出したことなんてほとんどありません。だから教祖ではなく、正しい考え方を広く伝える宣教師なのです。 一方、経営者が教祖になってしまうと、正しい考えではなく、自分の考えが「絶対」になる。自分の考えだから軸がぶれるし、都合が悪くなると今まで言ってきたことを変えてしまうのです。 同じように、正しい考え方を勉強していないリーダーほど怖いものはありません。方法論は朝令暮改でも構わないのですが、根本的な部分が朝令暮改だったり矛盾だらけだったりすると部下は混乱してしまいます。 例えばお客さまを大切にして、結果として利益を増やそうと号令をかけるのならいいのですが、勉強していないリーダーは、お客さま第一と口では言いながら、会社の利益優先という整合性の取れていないことを平然と口にして「頑張れ」と発破をかける。 これでは部下は「上司ガチャ」に失敗したと後悔し、心の中で「お前こそ頑張れよ」と嘲笑するでしょう。その原則は、経営や人生の原理原則を勉強していないからです。
● 部下が自分の味方かどうかは 本来、どちらでもいいこと もう一つ大切なことは、日頃からコミュニケーションを取ることです。 コミュニケーションは「意味と意識」の両方です。同じことを言っても、部下が進んでやりたい上司とそうでない上司がいるものです。それは意味の問題ではなく、好き嫌い、つまり意識の問題だからです。 だから、リーダーが何かをやろうとするときに付いてきてくれるかどうかは、普段から意識を伝えているかどうかにかかっています。 意識を伝える方法はいろいろあるでしょう。一つ例を挙げると、私は会社近くのデニーズへ数人のスタッフとランチに行くことがよくあります。今日も6人で行きました。そこでは仕事の話もしますが、「連休中はどこに行った?」というような仕事を離れた話題を楽しみつつ、コミュニケーションを図っています。 これまでの話とは逆説的になりますが、あえて部下を味方にする必要はないし、味方かどうかはどちらでもいいことだとも思います。 もちろん味方になってくれるに越した事はないけど、最優先すべきは自分の軸です。 自分の行動のベースに、「これをやりたい」という信念があって、それが私利私欲に基づくものではなく、世の中のためにも会社のためにも働く仲間のためにもなると思ったら、松下幸之助さんの言葉のように、「千万人といえども我ゆかんの烈々たる勇気」(PHP研究所『道をひらく』)を持って進むことが大事なのです。 これは、孟子の言葉の「千萬人と雖も吾往かん(せんまんにんといえどもわれゆかん)」がもとになっているようですが、反対する者が千万人いようとも進んでいく覚悟を持つのです。ただし、その信念は正しい考えに基づいていることが大前提であることは言うまでもありません。 正しい考えを持ち、強い信念を持って行動していれば、部下たちは自然に味方になってくれるはずです。それでも部下がついてきてくれないとすれば、自身の考え方が正しくないのか、信念が十分強くないのかもしれませんね。 (小宮コンサルタンツ代表 小宮一慶)
小宮一慶