【福島第一原発に今も残る爪痕】メルトダウンから13年、難航する廃炉と消えない東電の責任
「この事故によって、もともとあった地域のコミュニティーが消滅しました。その責任は、極めて重大です。なんとしても、元の福島に戻さなくてはなりません。ただし、元に戻したとしても、地元の人は帰ってこないかもしれません。それでも、廃炉を完了させることが、私たちの責務なのです」 【画像】【福島第一原発に今も残る爪痕】メルトダウンから13年、難航する廃炉と消えない東電の責任 東京電力福島第一廃炉推進カンパニーリスクコミュニケーターの髙原憲一さんは、苦渋に満ちた表情で、こう言った。髙原さんは1994年に東電に入社し、20年以上、福島第一原子力発電所(1F)の仕事にかかわってきた。当然、1F事故以前の福島のこともよく知っている。その頃にお付き合いしていた地域の人たちの顔が浮かぶからこそ、反省の念は強い。 「見学に来られる人の中には、周囲から『なぜそんなところに行くのか』『危険ではないのか』と心配される人もいます」(髙原さん) 13年前の1F事故は、それほどまでに、国民に恐怖と不安を植え付ける、歴史に残る出来事だったのだ。 エネルギー・電力問題に詳しい常葉大学名誉教授の山本隆三氏は「いずれ津波が来るということが指摘されておきながら非常用電源を地下に設置し続けてきたことは理解できない。東電は、安全対策を事前にしておくべきでした」と厳しく指摘する。 東電はその責任の重さにどのように向き合い、いかに廃炉を進めているのか。その「現在地」を知るべく、小誌取材班は震災から13年がたった今年3月下旬、1Fへ向かった。
放射線と現場の「生の感覚」対峙する課題は未知の連続
福島県双葉郡。マイクロバスで1Fへ向かう道中、車窓を眺めていると、かつてのコンビニと思われる廃れた建屋や、被ばく線量を明示する線量計、「除染作業中」と書かれたピンク色ののぼり旗が目に飛び込んできた。震災から13年たった今も、一部の地域では、あの日から完全に時が止まっているかのような光景が見られた。 1Fには1号機から6号機まで合わせて6つの原子炉がある。そのうち1~3号機の冷却装置が、津波などによる影響で停止。これにより核燃料が溶け落ちる「メルトダウン」が発生した。現在も1~3号機の内部には溶け固まった核燃料(燃料デブリ)が残っており、これを取り除くことが最大の難関となっている。 1Fに到着すると、ALPS処理水(以下、処理水)を保管する無数の巨大なタンクが見えた。おさらいになるが、そもそもなぜ、処理水が発生するのか。先に触れた通り、1~3号機の内部には燃料デブリが今も残っている。たとえ運転を停止していても、燃料デブリは「崩壊熱」と呼ばれる熱を放出し続ける。これに水をかけて冷やし続けなければ、放射性物質の漏洩や水素爆発につながる恐れがあるのだ。 こうして燃料デブリを冷却した後の水は「汚染水」と呼ばれる。この汚染水に含まれるさまざまな放射性物質を、多核種除去設備(ALPS)で取り除いたものが「処理水」だ。 小誌取材班は、線量計や軍手などの装備品を携帯し、1~4号機を近くで見られる「ブルーデッキ」と呼ばれる高台へと向かった。ここでは、既に一般服での視察が可能になっている。 デッキに到着し、横並びする各号機と正対する。その奥に目をやると、想像よりもずっと近くに、あの津波をもたらした海が見えた。1号機の上部には大きながれきが今も残っている。しかし、がれきの下には使用済み燃料プールがあり、いたずらにがれきを撤去してしまうと放射性ダストが舞う危険性があるという。それを防ぐために現在、大型のカバーを造っている。 しかし、高線量のため1号機や2号機のそばでカバーを組み立てることはできない。「線量の低い離れた場所で組み立て、トレーラーで構内へと運び入れる必要があります」と前出の髙原さんから説明を聞いている最中に、記者の線量計が鳴り響いた。 積算線量が0.02ミリシーベルト増えるたびに鳴動する仕組みで、この数値は一般的に、歯医者のデンタルX線撮影2枚分の放射線量にあたる。ほとんど人体への影響はない範囲だが、目に見えないところで放射線量が蓄積していく「現場の生の感覚」を実感した。 2号機では燃料デブリを試験的に取り出すために、遠隔操作ロボットを挿入させる準備を進めている。ただ、その前段として、そもそも原子炉格納容器の内部に通じる貫通孔の蓋を開ける必要があった。その作業に至るまでにも困難を極めたが、いざ蓋を開けてみると、堆積物が中を塞いでいることが発覚したのだ。そのため、現在はその通行ルートを確保すべく、堆積物の除去にあたっているという。