「大江健三郎」──連載:北村道子のジェントルマンを探して
数々の映画衣裳をはじめ、さまざまなメディアで衣裳デザインとスタイリングを手がけてきた北村道子による「現代のジェントルマン像」を探る連載。第3回は、作家の大江健三郎について語る。 「大江健三郎」──連載:北村道子のジェントルマンを探しての写真をチェック!
作家の大江健三郎さんは、2023年の3月3日、88歳で亡くなりましたが、彼は死ぬまで思想のあるスタイルを貫いた人です。大江さんは、東京大学文学部に在学中、小説「奇妙な仕事」を書き、東大五月祭賞を受賞。文壇から注目を浴び、23歳の時に短編小説「飼育」で芥川賞受賞作家になり、その後の活躍は周知のこと。 愛媛県の大瀬村(現・内子町)で生まれた大江さんは、小学生のときに太平洋戦争を経験しています。9歳になった頃、父親が突然亡くなり、翌年の1945年に戦争が終わる。四国のラジオのニュースからは「敗戦」と聞こえてくるのに、彼の母親が松山の友人に頼んで買 ってきてもらった東京の新聞には、「終戦」と書いてあったそうです。そこから、彼は2つの言葉の矛盾に対してユニークな理論を組み立て始め、それが多くの作品にも表れているように感じます。 ルポルタージュである『ヒロシマ・ノート』の冒頭、大江さんは、最初の娘を亡くしたばかりの友人で編集者でもある安江良介さんに広島の取材に誘われます。大江さんもまた、病院にいるまだ見ぬ生まれたばかりの長男の脳に障害があることが分かって、打ちのめされながら東京から広島へ向かいました。現地で原水爆禁止運動を無言で 追うなかで、政府の人間がそこには一人もいないという状況を前にして、彼はまた、戦時中の自分の子ども時代に立ち返る。国とは何か、家とは何かを自分に問いかけたようです。 大江さんの妻ゆかりさんは、映画監督・伊丹十三さんの妹でした。いじめられっ子だった大江さんは、松山の高校で2歳上の伊丹十三さんと出会う。伊丹さんから、「文学をやりなさい。そのために勉強して東大に入りなさい」と書かれた手紙をもらい、大江さんはそれを実行しました。東京大学でフランス文学の教授として指導を受けることになる渡辺一夫さんの本を大江さんに渡したのも、伊丹さんだそうです。大江さんは、ちょっとした出会いでそれが自分に必要かどうか分かる。そのレセプターのような直感力は、まさにアーティストだと思います。そして、そういう出来事を文学にするのが、大江健三郎という作家なんです。面白いでしょう。名前を変えて、母も姉も息子も伊丹十三も小説に出てきます。大江サーカス団のメンバーとしてね(笑)。 評論では、主に民主主義や護憲について書き、エッセイでは、北海道の礼文島から沖縄まで足を運び、ルポルタ ージュした大江さん。2023年に復刊された、彼が自選自編をしたエッセイ評論集成『新装版 大江健三郎同時代論集』(全10巻、岩波書店)の帯文で、池澤夏樹さんがユニークな言葉で大江さんについて綴っています。「この波瀾の時代に立つ一基の灯台として彼は日本の世論を導いた」と。私にもいろんな思いはあるけれど、大江さんの文章に日本語で触れられる日本人でよかったなと思うんです。大江さんという大きな木を失ってどうしよう、というところにこの10冊が出たので、まだちょっと生き続けようという気持ちになります。 大江さんといえば丸眼鏡キャラ。おそらく、世界からどう見られるかを意識した演出ですよね。そして、きれいなジャケットにシャツを合わせた、西洋の大学教授のような格好。知性のあるオジサン好きな私としては、嫌いじゃないスタイルです(笑)。 北村道子 1949年、石川県生まれ。30歳頃から、映画、広告、雑誌などで衣裳を務める。『それから』(85)以降、数々の映画作品に携わる。近書に、人気シリーズ『衣裳術』第3弾(リトルモア)がある。 大江健三郎を知るための3作 1963年に広島を訪れた著者が、被爆者らの個人を見つめる『ヒロシマ・ノート』(岩波新書)。商業デビュー作も収めた初期短編集『死者の奢り・飼育』(新潮文庫)。旧版と同じく、渡辺一夫装画の『新装版 大江健三郎同時代論集』(全10巻)(岩波書店)。 大江健三郎/作家 1935年、愛媛県生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。1958年「飼育」で芥川賞を受賞。1994年ノーベル文学賞受賞。いつも清潔感のあるネイビー、グレー、ベージュのジャケットにシャツやセーターを合わせた上品でミニマルなスタイルを好んだ。 写真:The New York Times/アフロ WORDS BY TOMOKO OGAWA