市原隼人の人生を変えた小学5年生の出来事「嫌で嫌でしょうがなかった」が「好きで好きで仕方なくなった」映画デビュー作
“漢”という言葉がこれほど似合う男はいないだろう。俳優・市原隼人。『WATER BOYS2』、『ROOKIES』といった学園ドラマでの熱いキャラが印象的な市原さんだが、近年では『鎌倉殿の13人』、『正直不動産』などではスマートで大人のキャラを好演している。そんな市原に「THE CHANGE」について聞いてみた。 ■【画像】市原隼人の人生を変えた小学5年生の出来事とは?本人が語る「THE CHANGE」オリジナル動画 俳優という仕事はつくづく損な商売だと思う。一回、印象付けられたキャラはそれ以降、その俳優の代名詞ともなり得る。だから筆者も、市原さん自身もこれまでの役の様な熱い人柄かと思っていた。しかし、実際、目の前に現れた市原さんは熱さを感じさせない。丁寧で穏やかなトーンで、時折どこか恥ずかしさを交える感じで終始語ってくれた。そもそも市原さんは幼少期からスポーツに明け暮れていた。 「2歳から器械体操、水泳、空手……色々やってきました。それは小学生になっても続いていて、とにかく動くことが好きでした。僕の父も柔道と器械体操をやっていたのでその影響もあると思います。当時、大好きだったジャッキー・チェンの映画を観て、分厚い雑誌を父に持ってもらって、ず~っと突きの練習をしたり。走るのも好きだったので、あちこち走り回って、その挙句に迷子になったり、夜遅くなっても帰って来ない(笑)……ということはよくありました。、無鉄砲で、トム・ソーヤのような少年でした」
水泳選手か警察官になりたかった
そんな市原少年は、ある時、父親と映画を観に渋谷に繰り出した。 「26年ぐらい前で小学5年生の時でした。たしか『インディペンデンス・デイ』だったかな。映画館は、いまのシネコンみたいに席が決まっているのでなく、席に座れないお客さんは通路に座って観るような時代でした。その帰りに、今の事務所のスタッフからスカウトされたんです。それで芸能界で仕事を始めました」 まさに人生を変える出来事であった。 「それまでは芸能界に入りたいとは全く思っていなくて、当時は警察官か水泳選手になりたいと思っていたんです。2歳から水泳をやっていたので。プロレスも大好きだったのですが、体が小さいのでプロレスラーにはなれないと思って、作文には“プロレス興行の営業マンになりたい”とも書いていました(笑)」 芸能界は誰もが入れる世界ではない。多くの人にとっては憧れで終わってしまう世界だ。そこに関われたということは、常に夢を抱いている人間からとったら羨ましい以外の何物でもない。しかし、市原少年にとっては──。 「最初の頃は嫌で嫌でしょうがなかったんです。なんで、友達は遊んでいるのに、この芝居しなきゃいけないんだろうって、今思えば、その理由がわかっていなかったからでしょうね」 そして、2001年に公開された『リリイ・シュシュのすべて』は市原さんにとって初めての映画であるだけでなく、初の主演作品となった。デビューしてまだ2年ほどの出来事であって、当時は相当なプレッシャーがあったのではないかと思われるが。 「それが何も考えていなかったんですよ、ほんとに(笑)。撮影が終わったら、みんなで健康ランドに行って風呂に入ったり、プロデューサーの家に泊まったり。(岩井俊二)監督もお父さんのような存在に感じていて、家族のようなチームでした。 長ゼリフが10ページぐらいある日があったんですが、プロデューサーに“イッチー、憶えた?”って訊かれても“え、何のことですか?”って。セリフを覚えるものだと思っていなかったんです。それで丸2日かけてなんとかセリフを憶えて、撮影しました。64テイクぐらい重ねましたが、最終的には全部カットでした(笑)。それでも、みんなが温かく見守ってくれたので、撮影って楽しいなって思えていたんです。もちろん、叱られたこともたくさんありましたが、その現場が好きで好きで仕方なくなったんです」 そして、10代後半から20代前半に掛けて、市原さんを変える大きな出来事を迎えることとなった。 市原隼人(いちはら・はやと) 1987年2月6日生まれ、神奈川県出身。小学5年生の時にスカウトされ芸能界に入る。2001年、映画『リリイ・シュシュのすべて』で主演を務める。2004年、ドラマ『ウォーターボーイズ2』で連ドラ初主演を果たし、同年に公開された映画『偶然にも最悪な少年』で日本アカデミー賞新人俳優賞受賞。近作にはドラマ『正直不動産』シリーズ、や舞台『中村仲蔵~歌舞伎王国 下剋上異聞~』がある。近年は写真家としても活動している。6月~は主演作品・WOWOWにて『ダブルチートseason2』の放送開始。 鈴木一俊
鈴木一俊