「無実かどうかを言うことは限りなく難しい」二人の少女が惨殺された事件を10年間取材した男が持った実感
どの立場から事件を見るか
〈以下質疑応答〉 ――「飯塚事件に関わった弁護士、刑事、記者に等距離で聞く」とこの作品を紹介する新聞記事に書かれていますけれども、刑事さんは死刑囚の方が死刑執行される直前まで「自分は無実だ」と言いつづけていたのを見て悲しくなったって言っていましたね。真実を言わせなかった、反省させられなかったことが悲しいと。私は刑事さんが本当に真実を言っているのか疑問に思いました。おかしい、嘘だと思いました。 最初に登場する山田警部補ですね。悲しくなったというのは、警察が悲しくなったということですね。自分自身が恥ずかしいということで悲しくなったと。 死刑執行されたことが悲しいというより、自白をしないで死んでいったことが悲しいということですね。 どう受け止めるかはその方の価値観といいますか、どういう見方をしていただいてもいいと思っていまして、まさにいま、真実じゃないというふうに仰って、そういう見方をしていただいてももちろん構わないと思っています。 それゆえ、この作品はタイトルが「真実の行方」ではないんですね。何が真実かを突き止めようとするということとは少し角度、ニュアンスが違っていまして、「正義の行方」というタイトルにすべてが凝縮されていて。 警察官が持つ正義、弁護士が持つ正義、メディアが持つ正義、それぞれの正義を掘り下げていく。 どれが正しいかということは、私としてのスタンスは表明していないと。 映画をご覧になった方は、「警察側で見てしまった」という方もいらっしゃいますし、「弁護団の側に立って見た」という方もいらっしゃるし、様々な見方をしていただければいいかと思いました。まさに真実の行方ではないというのは正しい見方だと思います。
無実かどうかはもうわからない
――西日本新聞の記者の人たちに対して、「取材をしたうえで、あなたは久間三千年さんは犯人だと思いますか」というような質問をされていますが、今回いろんな人を取材して、監督自身そこはどう思われているのでしょう。 私自身のスタンスということですね。 西日本新聞の中島記者の言葉にありますように、無実か否かはもう本当に分からないというのが正直なところなんです。 もちろん弁護団は無実だと信じて弁護をやってらっしゃると思いますし、久間さんの奥さんも含めて無実を信じていらっしゃる方も多いと思うんです。 私のような取材者の立場で言うと、久間さんや、二人の少女がいなくなって、自分が摑んでいる証拠や実感から、無実かどうかを言うことは限りなく難しい、というのが正直なところです。 有罪無罪という話になってきますと、実際にやってるやってないということと、裁判においてどうかという、ちょっと次元が(違う話になります)。 取材をしながら思ったのは、実は警察官も実際言っていることなんですけれども、裁判のやり直しをやってもいいじゃないかとは思っています。証拠をもう一回洗い直して、もっと言うと、証拠を(すべて)開示して、きちんと裁判をやり直したらどうかなと。 そのぐらい証拠自体弱いものになってきている。(当時の)DNA型鑑定の証拠価値が限りなく乏しいといういまとなっては、かなり証拠が薄くなってきているという実感を持っています。 第2回『樹木希林さんに散々怒られて…「人に電話をかけるのも怖い」人見知りが、樹木さんに人間性を見抜かれて言われた「言葉」』ヘ続く
木寺 一孝(映像作家、ディレクター)