映画「パスト ライブス/再会」の“大人のラブストーリーの最高傑作”なる惹句に待った!(松尾潔)
同い年の畏友、漫画家・井上三太くんが、YouTubeチャンネル「SANTASTIC!TV」で、今春のアカデミー賞で作品賞と脚本賞にノミネートされた米映画『パスト ライブス/再会』を斬った! これがじつに興味深かったのだ。チャミスル飲んでほろ酔い状態でマイクに向かった彼は、「ごめんなさい。でも感動しない。つまんねえなあ」と言ってのけた。多くの人が絶賛しても「自分としてはまったく受け入れがたいラブストーリー」なんだと。女性主人公は「ヤな女」だし、その夫の立場に立ってみるとこの映画は「なかなかに気持ち悪い話」ときたもんだ。いっぽうで「けっこう辛口のボクの奥さんは、一緒に観て泣いていました」と気になることも。 愛され続けたイ・ソンギュンさんの光と影(1)なぜ自ら死を選択せねばならなかったのか さすがにここまで聞けば、ぼくも映画館に足を運ばずにはいられない。料金割引の利くサービスデーを狙って某日午後に観てきた。 あらすじは以下の通り。1990年代後半、ソウル在住の12歳の少女ナヨンと少年ヘソンは互いに恋心を抱くが、ナヨンが親(父は映画監督、母は画家)の都合でトロントへ移住、離れ離れに。12年後、24歳。NY在住のノラ(ナヨンの英語名)と、依然ソウル暮らしのヘソン。オンラインで邂逅(かいこう)、スカイプで互いの思慕を確かめあった両者だが、やがてノラの申し出により再会の可能性に蓋をする。さらに12年後、36歳。劇作家となったノラは、グリーンカード取得の目的もあってユダヤ系作家アーサーと結婚している。その事実を知りながらノラに会うためにNYを訪れる独身のヘソン。24年ぶりの再会の7日間。ふたりが選択した運命とは? オリジナル脚本と監督を手がけたのは、これが長編デビュー作の韓国系アメリカ人女性セリーヌ・ソン。映画監督ソン・ヌンハンを父にもつ彼女は、この物語が実体験から生まれたことを明らかにしている。ノラを演じるのはアメリカ生まれのグレタ・リー(ファッショニスタとして有名)、ヘソンを演じるのはドイツ生まれのユ・テオ。 実際に観終えて感じたことを、三太くんにならってぼくも率直に言ってみようか。 なーんだ、「恋愛映画」ではないじゃん。もちろん恋愛の要素は大きいよ。だが監督が重心を置くのが恋愛ではないことは明らか。日本の配給会社が作成したポスターの「君にずっと会いたかった」「忘れられない恋があるすべての人へ」といった甘い惹句(じゃっく)は、ミスリード狙ってますよ。「せつなさが溢れる大人のラブストーリーの最高傑作」にいたっては待ったをかけたい。みなさんはどうかダマされないように! ではどんな映画か。ぼくは「移民映画」と答える。根拠もある。だってこれ、『ミナリ』『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』といった、悩み多きアジア系米国人の心のありようを描き、(ここが大切なのだが)商業的にも批評的にも成功を収めている気鋭の映画製作/配給会社「A24」の作品なんだから。 この作品を「恋愛映画」ではなく「移民映画」と位置づければ、多くの鑑賞者から名場面認定を受けている終盤のノラの号泣シーンも違って見えてくるはずだ。号泣の理由はきっと「忘れられない恋」といったシンプルなものではない。おそらくそれは、恋よりもっと大きなもの。12歳での移民体験と異郷生活で肥大化させたインナーアダルト(知識、思考など)。逆にずっと封じ込めてきたインナーチャイルド(感情、感覚など)。 そもそも危うかった両者の不自然な均衡が決壊し、号泣という形で表面化したのではないか。韓国少女ナヨンの元々の性分はクライベイビー(泣き虫)。それをノラという英語名のもとに無理矢理メタモルフォーゼ(変態)させてきたが、ヘソンとの再会によってその無理が解けたのだ。なぜなら彼は歩く〈祖国〉だから。今では母親としか韓国語を使う機会もないノラは、意図的に祖国と距離をとってきた。移住は親の都合だが、その後の人生は自分で選び、自分の足で歩んできた。それでもインナーチャイルドは消えていなかった。完全に飼い慣らせてはいなかった。ノラがいとしい。三太くん、お連れ合いが泣いたのはこれがラブストーリーだからではないんじゃないかな。 ヘソンは頭脳明晰なハンサムだが、見た目より脆い男。かの国に90年代から足を運んで仕事を重ねてきたぼくにとっても、ヘソンは韓国そのものだ。ナヨンの家族がカナダに移住した理由については、映画のなかで特に詳らかに語られはしないが、時代設定を考えれば97年のIMF通貨危機を連想するのは自然なことだろう。 翌98年に大統領に就任した金大中は経済改革に着手、また小渕恵三首相と日韓共同宣言を発表して日本文化開放を推進する。2001年に195億ドルを全額返済した韓国はようやくIMF管理体制から脱却し、翌02年にはFIFAワールドカップを日韓共催し、成功させた。そのテーマソングを七転八倒しながら韓国の音楽人たちと共作した経験をもつぼくには、ヘソンはビタースウィートな過去を抱えた旧友に見えて仕方がない。 最後にひとつ。再会を果たしたふたりが歩くブルックリン、そこで登場する回転木馬が絶妙だったなぁ。木馬は反時計回り。つまり時間を遡るわけですよ。あのシーンがたまらなく「恋愛映画」感に満ちていたのはたしか。映画やCMに関わるクリエイターにとっては、すぐにでもパクりたい誘惑に満ちたシーンでもあるだろう。でも、残念でした。日本やヨーロッパでは、じつは回転木馬は時計回りがほとんど。20年に閉園した〈としまえん〉もそうでした!