慶大キャプテン、関大キャプテン、東北福祉大の学生コーチも!「自主性重視」には逆行も…奈良・生駒ボーイズOBはなぜ令和でも活躍できる?
奈良県にある中学硬式野球チーム・生駒ボーイズ。例年全国大会で上位を争い、多くのプロ野球選手も輩出する名門である。2005年に創設されたチームの13期生はいま、大学4年生になっている。各々強豪大学で野球を続けるメンバーたちだが、実は彼らが中学生だったころ、チームではちょっとした「事件」が起きた。それは、あるメンバーに重篤な病気が発覚したこと。彼らはいかにしてその困難を受け止め、また今に活かしているのか。当時のメンバーたちに話を聞いた。<全3回の3回目/最初から読む> 【写真】「令和の時代でも…ロン毛はひとりもいない!」奈良の強豪・生駒ボーイズの練習風景…慶大主将&関大主将も輩出&病を克服して学生コーチのメンバーも…「黄金世代」だった13期の選手たちの活躍も見る
生駒ボーイズ「黄金世代」のキャプテンは関大に
関大キャプテンの藤原太郎は慶大主将の本間颯太朗のことを「刺激を与えてくれる存在」だという。 「慶応とオープン戦をして素晴らしい組織だと思った。そのチームをまとめてるんですから見習う部分も多い」 生駒ボーイズの時は気持ちが抜けている選手がいると気合いを入れたり、オンオフが切り替えられる頼れる副キャプテンだったという。石田監督は13期のキャプテンに藤原を選んでいる。 「最初は本間が候補でした。でも藤原がキャプテンのほうがおもろいチームになるんちゃうかと。思った通り、藤原は素晴らしいキャプテンになってくれました」 藤原の父親は中京商(現中京学院大付属中京校)の出身で、奈良県の教員になって管理職を歴任した。野球を勧めたのは父だったという。レベルが高く、自分を磨けるチームとして生駒ボーイズを選んだ。高校は佐久長聖高。これまで何人も先輩が進学している文武両道で石田監督が進めてくれたという。 「俺が一番、信頼してるPLの後輩が監督をしてる。そこにお前を行かせたい」 藤原は佐久長聖の藤原弘介監督と話して人間性に魅かれたという。1年の時からベンチ入りして、2年でセカンド、3番を打った。3年では部員144人のキャプテンを務める。独自大会ながら長野県で優勝を果たし、非公式だが、打率5割を残した。 コロナの最終年はミーティングをかなりした。甲子園自体がなかったのは不幸だったが、ある意味、幸せだったともいう。 「独自大会はベンチ入りが自由で同期52人全員が背番号をつけてベンチに入って優勝もできた。達成感があった。そこで得た一体感は生駒と一緒のものだった」と力をこめて話す。 佐久長聖から進んだ先輩がいたり、藤原監督とも相談して大学は関大、大阪に戻ることになった。 2年の秋に開幕からスタメンで出るようになって3年で外野のレギュラーを獲得する。ところが春のリーグ戦で飛球を追ってフェンスに激突して肩を骨折する。復帰は秋季リーグの途中からになった。 新チームではキャプテンになる。それは必然なことだった。中学高校でも責任ある立場でチームを引っ張って、自分自身の成長にもなった。キャプテンをやりたいと思えたからだ。 慶応の本間は「太郎は昔からリーダーシップがあった」という。 「小中高大とすべてでキャプテンをやってる。ほんとすごいです」 4年の春は1番ライトでスタートした。しかし、藤原の調子も本間同様に上がらなかった。チームも京大に連敗するなど、金丸夢斗というドラフト1位候補の投手を擁しながら結局、5位にとどまった。慶応と関大。各リーグ戦を制して大学選手権の決勝で当たっても不思議ではない両大学だが、春は芳しくない結果に終わったのは同期主将ゆえの因縁だろうか。
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