“28歳で日本代表初招集”大橋祐紀とは何者か?「2年間で16カ月離脱」絶望から這い上がった“大器晩成FW”の逆転人生「何歳になっても諦めたくない」
自ら大器晩成型と話す28歳が、ついに日の丸を身にまとう。 今夏にサンフレッチェ広島からイングランド2部のブラックバーン・ローヴァーズに加入した大橋祐紀が、10月10日にサウジアラビアと、同15日にオーストラリアと戦う日本代表に招集されたのである。 【写真】「これは上手い…!」大橋祐紀28歳のブラックバーン初ゴールが美しい…英から広島に届けるエモすぎ「弓矢パフォ」やJでの活躍も一気に見る
日本代表の誰とも似ていない?「万能型FW」の持ち味
1996年7月生まれは、鎌田大地、板倉滉、中山雄太らと同学年である。今冬のアジアカップに招集された渡辺剛は、中央大学の同級生だ。 加入1年目のブラックバーンで、大橋は開幕から5戦4発といきなり結果を残した。5日のプリマス戦では先発から外れたものの、それまでは4試合連続でスタメンに名を連ねていた。「最旬」の選手と言っていい。 プレースタイルは「万能型」である。 浅野拓磨や前田大然のようなスピードはないが、DFラインの背後を取る動きは巧みだ。駆け引きをしながらスルリと抜け出し、ワンタッチでゴールできるポジションへ潜り込む。 小川航基のようなストロングヘッダーではないが、空中戦は得意だ。今シーズン前半を過ごしたサンフレッチェ広島では、11ゴールのうち4ゴールをヘディングで決めている。ゴール前の狭いスペースへ、身体を投げ出して飛び込んでいける。 上田綺世のようなポストワーカーでもないが、前線でしっかりと身体を張ることができる。ゴールに背を向けてボールをキープでき、周りの選手を使うことができる。 利き足は右だが、左足のシュートにも無理がない。9月14日のブリストル・シティ戦では、右サイドから内側へ持ち込んで左足のコントロールショットを決めている。右足のシュートはパワフルで、左足は力みがないのだ。
「2年間で16カ月離脱」ケガに苦しんだキャリア初期
2019年に湘南ベルマーレでスタートしたプロキャリアは、大きな苦しみから始まっている。プロ1年目に右足前十字靭帯損傷、外側側副靭帯損傷、大腿二頭筋損傷の大ケガを負った。全治まで8カ月を要した。 プロ2年目の20年3月には、右反復性肩関節脱臼で全治5カ月の診断を受ける。同年8月にも左鎖骨骨折のケガを負い、3カ月の離脱を強いられた。プロ入りから2年の間に、合計16カ月もの時間をケガの治療とリハビリに費やしたのだった。 ケガの連鎖をくぐり抜けたのちに、大橋はこう振り返っている。 「8カ月、5カ月、3カ月と離脱期間が短くなったので、それは幸いだったかもしれません。膝のケガから復帰した直後は、当たり前ですけど全然しっくりいってなかったんです。でも、2度目の離脱期間にリハビリなどができたので、膝の違和感がだんだん抜けていきました。2度目のケガの肩も、復帰したばかりの頃は転んだときに地面に手をつくのが怖かった。それも、3度目の鎖骨のケガの間にリハビリをして、良くなっていった。そうやってコンディションが戻っていって、プロ3年目で戦えるようになったんです」
【関連記事】
- 【写真】「これは上手い…!」大橋祐紀28歳のブラックバーン初ゴールが美しい…英から広島に届けるエモすぎ「弓矢パフォ」やJでの活躍も一気に見る
- 【注目】「申し訳ないが、誰も取材に出てこないと思う」ミス、ミス、ミス…4失点完敗の低調ブライトン。その45分後、それでも三笘薫が番記者に語った言葉
- 【話題】「反スポーツ的行為」黒田監督発言に賛否のJ1天王山、本質は“タオル問題”ではなく…カメラマンが広島で見た“異変”「あの黒田監督が…」
- 【追悼】59歳早すぎる死「ケーキ屋見習いからW杯得点王」名門移籍後は酷評→Jで93戦65発…「エロエな点取り屋」スキラッチ“究極の成り上がり人生”
- 【人気】“消えた天才”あの高校サッカー得点王は今…「もしかして、あの平澤さんですか?」“Jリーガーにならなかった男”が選んだ超一流企業の仕事