【hitomi】48歳、私が選んだ今とこれから。「突っ走って失敗した20代が私には必要だった」
突っ走ったからこその失敗も。私には、あの20代が必要だった
18歳の時に、小室さんプロデュースのシングルでCDデビュー。その頃のことを振り返ると、小室さんがプロデューサーとして世の中に影響を与えていくスピード感と勢いに圧倒されながら、「私って何なんだろう?」という気持ちが次第に大きくなっていったことを覚えています。プロデュースされる側の人間として自分をどう表現するべきなのかを考えるうちに、生意気にも、どこかお人形になったような感覚に陥ってしまったんですよね。 22歳の頃、小室さんのもとを離れてからは、ギターを習い始めて自作の曲をなんとか形にしたり、セルフプロデュースをすると決めてCDのジャケ写も人間臭さみたいなものにこだわるようになりました。全速力で走り続けてきたことで『LOVE 2000』や『SAMURAI DRIVE』といったみなさんに聴いていただける曲をつくることはできたんですけど、そのいっぽうですごく空虚な気持ちになってしまったことも事実。そこで、子供の頃に抱いていた「自分の歌で世の中を変えていきたい」と同じくらいの夢だった「幸せな家庭を持ちたい」にフォーカスを当てるようになっていって、26歳の時に1回目の結婚をしました。 そんな私の20代をひと言で表すとしたら……いろいろあったなって。小室さんから離れてセルフプロデュースを始めて、みなさんに聴いていただける曲ができて、そこからまたCDが売れなくなる経験もしたし、結婚はしたもののうまくいかなくて……決して美しくはない時間でした。20代って、突っ走っちゃうし、突っ走れちゃうんですよね。やると決めたら一直線に進んでしまう性格の私は、特に(笑)。今の自分なら、「もうちょっと落ち着いて物事を考えようね」って声をかけるかもしれない。でも、突っ走ったからこその失敗を通して気づけたこともたくさんあったので、私にはあの20代が必要だったのかなとも思うんです。
つい頑張りすぎてしまう“お母さん業”は、ときどき休むことも大切に
30歳になった時、私のもとに飛び込んできたのは役者のオファーでした。歌手と役者は同じ表現する仕事でありながら、やるべきことは正反対。hitomiだけを表現すればいい歌手業に対して、別の誰かを演じる役者業ではhitomiはまったくいらないんですよね。戸惑うことだらけで大変な日々ではあったけど、役者の勉強を始めてみたら、それまでは強くて負けず嫌いなhitomiのイメージを貫くことに必死だった私が「だらしない自分でもいいんだ」と思えるようになったことは大きかったです。肩の荷をちょっとずつ降ろせたことで人としてやわらかくなって、歌い方や表現の仕方も変わっていったんじゃないかと思います。 48歳になった今は、4人の子供を持つ母親。息子が通う小学校で運動会のようなイベントがある時は学校周辺のパトロールをしますし、今朝も5時起きでプレスクールに通っている3歳の息子のお弁当をつくってから仕事場に来ました(笑)。“お母さん業”って、つい頑張りすぎちゃうところがあると思うんですけど、それで体調を崩したら元も子もないから、疲れたらサボることも大事。うちの場合は子供が起きている時間は家じゅう大運動会で自分のことなんてまったく考えられないので、夜中に起きてひとりでお風呂に入りながらボーッとしたり本を読んだりして、心の声に耳を傾ける時間をつくるようにしています。たまには、アイスの“ピノ”やカップラーメンを食べて、暴飲暴食もしますよ(笑)。 これからも、歌手業やタレント業に関しては、楽しめる範囲でできることをしていきたい。今は子育てという大きな仕事があるので、ほかを頑張りすぎて子供たちの一瞬一瞬や成長を見逃すことがないように、毎日を過ごしていけたらと思っています。