梶芽衣子を始めて意識したのは薄幸な女性を演じた「日本残侠伝」(スタジオジブリ 鈴木敏夫)
1969年8月6日、日活本社で撮影(梶芽衣子)/(C)共同通信社
1967年、鈴木敏夫は慶応義塾大学文学部に合格して名古屋から上京した。翌年には社会学科・自治会の委員長になり、学生運動にも身を投じていく。70年安保に向けて、世の中が熱く揺れ動いた時代。そんなときにも、彼の映画館通いは続いていた。 「当時は日本映画にお客が入らなくなった時...
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