「マイケルを後世に伝えたい」ダンスパフォーマーMasakiの思い
越前屋俵太も飛び入りでトークに参加
越前屋俵太も登場 「マイケルを後世に伝えたい」ダンスパフォーマーMasakiの思い 撮影:北代靖典
マイケルダンスパフォーマーとして活動するダンサーがいる。「MDPマサキ」ことMasakiだ。MDPとはM(マイケル)D(ダンス)P(パフォーマー)だが、そのステージは観客を魅了し、魂さえ揺さぶるほどで越前屋俵太も飛び入りでトークに参加し盛り上がりをみせた。いったいなぜ、マイケルダンスのパフォーマーになったのか。このほど「宮川町歌舞練場」(京都市東山区)で行われた「琳派ロックpart2」に出演していた本人に直撃し、話を聞いてみた。「マイケルジャクソンのメッセージやエンターテインメントを後世に伝えたい。だからマイケルダンスのパフォーマーを名乗っています」と、マイケルへの思いを話す。その生き方とは? 【拡大写真と動画】芸能活動再開の越前屋俵太「僕は究極の寄り道をしてる」
マイケルを知ったのは小学校5年の時
Masaki は1982年生まれ。宮崎出身。今は京都在住だ。マイケルジャクソンのメッセージやエンターテインメントを後世に伝えるべく、ソロやチームで活動し、そのステージで再現する。和文化とのコラボレーションにも力を入れており、独特のステージにはファンも極めて多い。 2016年10月、イタリアで開催された「日伊国交150周年Japan Day」オープニングアクト出演も果たした。これについては、「イタリアはご縁があって、昨年国交150周年で、10月に行ったんです。ジャパンデイズがあって、それのオープニングセレモニーに出演しました。ショーは2日間、2ステージ。海外は初めてでしたが、完全に和のテイストで鼓と三味線で踊りましたが、それが新鮮だったみたいです」とMasaki。そもそも彼がマイケルを知ったのは小学校5年の時だという。 「マイケルとの出会いは、うちの兄がすごい好きだったんですよ。『フー!』とか『ワォ!』とか、甲高い声とともに兄の部屋から音楽が聞こえて来て、それがマイケルだとわかって。それからプロモーションビデオに惹き付けられて、無意識にCDを聴いていました。英語の歌詞は理解できなかったけど、どんどんはまっていったんです。踊り出したのは、2010年、マイケルが亡くなって1年後です」