研究者たちがVTuberを“本気で学問する”理由 岡本健×山野弘樹が語り合う、『VTuber学』刊行の裏側
VTuberを“哲学する”とはどういうことか
バーチャル美少女ねむ:では山野先生、『VTuber学』の第Ⅲ部「理論編」では哲学に重点が置かれていますが、VTuberを“哲学”するとは、一体どういうことなのでしょうか。 山野:まず「VTuber」がどういう存在かというと、大きなくくりで言うとバーチャルビーイング、バーチャルな存在者の一つだと思うんです。バーチャルビーイングの中にはもちろんメタバース住人の方をはじめとするアバターもいるし、VTuberと呼ばれる方もいるし、バーチャルライバーもいる。 ほかにも、実はロボットもバーチャルビーイングと言われたり、対話型AIもそうであったり、バーチャルビーイングという言葉はさまざまな存在を内包しているんです。そういったバーチャルな存在者は、岡本先生のお話にもあったように、テクノロジーの進化によって、今後より社会にその数を増やしていくでしょう。 人格的な存在であれ、ロボットのような非人格的な存在であれ、バーチャルな存在と呼ばれる人々とどういう風に倫理的に関わっていくのか、どうコミュニケーションが取れるのかを考えていく学問としてバーチャルビーイング研究がありますが、その中でも明らかに太い柱を形成するのが、VTuber研究だと思っています。 その中で、VTuberを哲学するというのは、たとえば「バーチャルな存在であるとはどういうことか」を問うことだと思っています。つまり「バーチャルとは何か」「それは現実なのか、あるいは虚構なのか」それとも「バーチャルは現実でも虚構でもない第3の領域のなにかなのか」といった存在論の領域の話なのです。 そして、もうひとつはバーチャルビーイングであるVTuberを私達が見る、鑑賞するということが、どのような効果をファンやリスナーにもたらすのかといった「美学」の領域の問題を追究、解明していくことだと考えています。 バーチャル美少女ねむ:先程岡本先生にお話しいただいた、「VTuberはインターネットの結節点」というお話と繋がるお話でもありますね。 岡本:そうですね。山野さんの言葉を借りると、バーチャルビーイングについて建設的に、かつ積極的に考えていくことで、どうやったら人間が生きやすくなっていくのか、問題もいろいろあるけれど、どうすれば幸せな社会になっていくのか、それを考えるきっかけになったらいいなというのは、「VTuber学」を作る上でかなり大事にしました。 ■変化の早いVTuber文化の歴史が忘れられないようにーー『VTuber学』刊行のきっかけ バーチャル美少女ねむ:ありがとうございます。では、「VTuber学」の刊行のきっかけを教えてください。 岡本:まず、私自身が「VTuberの広大な世界をちゃんとまとめておく必要があるな」と思ったことです。それというのも、自分がVTuber文化に関わりはじめてから、知れば知るほど深さや多様性があることに気が付いたんです。 VTuberと聞くと、どうしてもにじさんじやホロライブといった大手企業の名前がぱっと出てきますが、個人勢の方々をはじめ、小規模でも面白いことをやっている人がたくさんいて。毎日に近いくらい配信している人もいっぱいいて。そうした中では情報もどんどん流れていってしまうし、変化もとても早い。なので放っておいたら忘れられていくかもしれない。それは嫌だと思い、本にしたいなと思ったんです。 ただ、最初はこれまで自分が作ってきたような、もっと固い学術書を考えていたんです。研究者が10数人揃って、論文を1本ずつ載せましょうといったものですね。いずれにせよ、私1人では無理だと思ったので、山野さんにご相談を差し上げたんです。 山野さんは哲学のジャンルでVTuberの論文を書かれていたり、SNSを見ていると相当詳しい方なのだろうと思っていたので、去年の春ごろに「こんなことを考えているんですけど」とご相談させていただきました。そのときは知り合いの学術出版から出したらいいかな、と思っていたんですが、山野さんに相談して企画を固めていたら、「岩波の方が興味持っています」と山野さんが言ってくれたんですよ。 バーチャル美少女ねむ:そう、今回の『VTuber学』は岩波書店から出ているというのがまたすごいですよね。学術出版社としてはトップクラスに有名なところだと思うので。 岡本:そうですよね。なのでびっくりしましたし、私の中で「このままではまずい」となったんですよ。たとえば「VTuberの歴史」って、簡単に短く語るのは難しいと思うんです。これがいわゆる論文集であれば、独立した論文が13本載っているという形で、歴史の解説をカットすることもできたかもしれない。でも「それでは許されなくなったな」と感じました。 なので、業界をずっと見ておられるライターさんや、ねむさんのように初期から活動されている方など、通常の学術書とは少し異なった方々にも執筆を依頼しています。そういう座組にしつつ、かつ学術書としても成立するものができたら面白いなというのが、その頃に思ったことでした。 ■「知らない間に最後まで読んじゃった、という設計」を目指して バーチャル美少女ねむ:たしかに、『VTuber学』は単なる論文集ではないですもんね。全体の構成についてはおふたりがすごく考えられた部分かと思いますが、『VTuber学』にはあまりVTuberを知らない方も順繰りに理解を深めていけるような物語性があると思いました。第Ⅰ部の「VTuberことはじめ」では、学者の方にこだわらず、導入部としてわかりやすい話ができる人を集めたということでしょうか。 岡本:そうですね。第3編者である吉川慧さんにも書いていただいていますが、吉川さんは以前志摩スペイン村と周央サンゴさんのネット記事を書かれていて、それが本当にわかりやすくて素晴らしかったんですよ。VTuberファンだけでなく、詳しくない人が見たときにも面白さや魅力がわかるような書き方で、この方には書いてほしいとご相談に伺って、そこからさらにいろんな方を紹介していただきました。 バーチャル美少女ねむ:そして、元々岡本先生が考えていた構想である、いろんな研究者さんが「専門分野の立場からVTuberを語っていく」という形になるのが、第Ⅱ部からですかね。 岡本:そうです。第Ⅱ部、第Ⅲ部だけを見ていただくと普通の学術書のように感じる方も多いかもしれません。一方で、第Ⅲ部を書いてくださった皆さんは、山野さんにご紹介いただいたこともあって全員が哲学者なんです。 山野さんからそれぞれの書き手をご紹介いただいた時、同じ哲学者であっても方法論や考え方がかなり違うんだとわかりました。哲学と一言で言っても、色々なスタンスがある。これって、哲学に限った話ではなくて、他の〇〇学でも同じなんですね。それを見せたかった。 この第Ⅲ部まで読者を連れていくことが私の仕事だなと思いました。VTuberが分からない人にも、哲学について知らない人にも、どちらも触れたことが無い人にも、全員に最後まで読んでほしい。第Ⅰ部からエスカレーター式に第Ⅲ部までご案内して、知らない間に最後まで読んじゃった、という設計にしたいなと。 バーチャル美少女ねむ:山野先生といえば、今年の3月に春秋社から『VTuberの哲学』という本を出版されています。出版時期がかなり近いですよね。 山野:そうですね。場合によっては同じ月に刊行の可能性さえありました。 バーチャル美少女ねむ:自分で執筆をしながら、編者として哲学者をまとめるという、2つの難しいことを同時並行でやっていたということですよね。 山野:そうですね。逆に、タイミングが一緒だったからこそやりやすかったという可能性もあります。『VTuberの哲学』を書く際に、「VTuber学」第Ⅲ部を執筆していただいた他4名の方々に読んでもらい、色々な突っ込みをもらっていたんです。彼らは彼らの立場から僕に突っ込みをしてくれるので、僕もそのディスカッションを通して、彼らの立場をよく理解できていて。それぞれの議論の特徴をまとめやすかったというのはあります。 バーチャル美少女ねむ:双方に繋がっていたんですね。私が『VTuber学』を読んでいて、一番意外性があったのが第Ⅲ部でした。哲学者が連続で出てきてディープすぎやしないかと思ったんですけど、すごく読みやすかったんです。山野先生が苦労してあの流れを考えられたのかなと思いましたが、いかがでしょうか。 山野:僕の立場は『VTuberの哲学』で書いていたので、それをそこまで詳しく繰り返さなくていいだろうという思いがあったんです。なので僕の9章では、その他の4人のそれぞれの特徴を比較検討するということを頭に入れて書いた方が読みやすいかなと思っていて。いくらVTuberの話であるとはいえ、がっつり哲学の話でもあるので、読みやすさという点を考慮して、それぞれの立場をまとめておこうかなとは初期段階から思っていました。 バーチャル美少女ねむ:分析哲学であったり、さまざまな哲学の存在を知っていくことができる流れになっているのが読み物として読みやすくて、勉強になり面白かったです。 岡本:そうですよね。学問・研究は難しく思われがちなんですが、内容は非常に面白いんです。でも訓練を積んだ人しか読めないと思われることも多いので、もっと開いていきたいと思っています。ここは山野さんと共感できたところだったんですよね。 山野:そうですね。それに、「せっかくだったら読むことを通して、分析哲学や美学がどういうものなのかを学べる構成にしたらどうか」とアドバイスくださったのは岡本先生だったんです。岡本先生のそういったディレクションがあったからこそ、ああいった第Ⅲ部になったのだと思います。 〈後編へ続く〉
取材=バーチャル美少女ねむ、構成=村上麗奈