MLBの挑戦者たち ~メジャーリーグに挑んだ全日本人選手の足跡 Vol.7 木田優夫/サービス精神豊かな苦労人
帰国した木田はオリックスに復帰したが、在籍2年間で安定した投球を見せられず、’01年オフに自由契約となる。数球団の入団テストを受けるも合格通知は届かず、’02年は無所属としてカラダのケアに専念した。’03年、すでに34歳だった木田は再び渡米を決意。ロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結び、「さあ、これから」という矢先、不運な交通事故に見舞われる。足の骨折などで全治6週間。8月には復帰したものの、2試合に登板しただけでシーズンを終えている。翌年9月、シアトル・マリナーズに移籍。サイドスローへの転向も模索したが、メジャー登板のないまま’05年に自由契約となった。 またも日本に戻った木田は、東京ヤクルト・スワローズに入団。’06年にはリーグ4位の23ホールドを記録し、オールスターにも出場した。38歳にして自己ベストに近い数字を残したわけである。ヤクルトで4年間、日本ハムで3年間を過ごした後、さらにBCリーグにも在籍し、’14年に現役引退を表明。引退試合は9月14日に石川県立野球場で開催されたが、その前日の試合には明石家さんまが駆けつけ、臨時コーチを務めている。おそらく木田のために多忙なスケジュールを調整したのだろう。 実に27年という長い現役生活。2度目の帰国後は、自腹を切ってクラブハウス前にファンのためのテントを設置したり、日本やロサンゼルスで子どものための野球教室を開催したりと、地道で細やかなファンサービスが漏れ伝えられた。苦労を重ねた現役時代の経験、そしてあふれるサービス精神が、現在のGMという立場に生かされている。
文=野中邦彦 text : Kunihiko Nonaka