バスケに魅せられ激動の進路選択「かなり苦労した」シェーファーが米進学、プロ入りの経緯を振り返る
2024年2月3日に行われたB1リーグ2023-24シーズンの第21節、右ヒザ前十字靭帯断裂のリハビリを終えたシェーファーアヴィ幸樹(シーホース三河)が約10カ月ぶりにコートへ帰ってきた。 【動画】シェーファーアヴィ幸樹『B MY HERO!』出演部分映像(約15分) バスケットボールキングでは、Bリーグ公認応援番組『B MY HERO!』のコーナーの一つとして、昨年11月にインタビューを実施。当時リハビリ中だったシェーファーは、チーム状況について「これからめちゃくちゃ良くなると思います」と語っていたが、その言葉通り12月以降の三河は白星を量産。現在中地区2位の好位置につけ、勝負の後半戦を戦っている。 今回のインタビューのテーマは「アメリカでの学生経験」について。ネブラスカ大学の富永啓生らNCAAで活躍する選手も増えてきたなか、ブリュースターアカデミー、そしてジョージア工科大学というアメリカの名門校で得た経験はどのようなものだったのか。日本代表としての実績も持つシェーファー本人にキャリアを振り返ってもらった。 インタビュー・構成=藤田皓己
■ 「日本代表になれるんじゃないか?」何気ない一言が現実に
――キャリアの前に「バスケットボール」との出会いについて教えてください。 シェーファー 初めて触れたのは小学校の体育の授業ですけど、そこからバスケットはしていませんでした。中学3年生の頃に仲が良かった友達の影響でNBAを観るようになりました。まだプレーはしていなかったですけど、その頃からバスケって面白いなと思うようになりました。 ――当時はサッカー少年だったようですが、どんな選手だったのでしょうか。 シェーファー 基本的にフォワードをやることが多かったですけど、ボランチをやったり、最後の方はセンターバックをしていました。当時から背は高い方でしたね。高校に入ってからは190センチを超えていたので、かなりヘディングの練習をしていました。 ――バスケットボールを実際にプレーし始めたタイミングときっかけは? シェーファー 高校1年生の夏に家族で東京に引っ越して、サッカーを1年やったんですけど不完全燃焼というか、いまいち成長を感じられない時期がありました。そのタイミングでバスケに誘われて、気付いたら…といった感じですね。 ――当時はバスケのどういった部分に魅力を感じていたのでしょうか。 シェーファー 自分の体格が生かせるということもあって、やっぱり勝てるとうれしいじゃないですか(笑)。それに自分が成長できているという実感があることが一番楽しくて。バスケを始めたての頃は、日々ちょっとずつできることが増えることが本当に楽しかったです。迫力もあってスピードも速くて、観ていても楽しいスポーツでしたし、色々な要素からバスケが楽しいと感じていましたね。 ――そんなバスケ転向から、わずか1年で世代別日本代表にも招集されました。 シェーファー ちょっと面白い話を振り返ると、僕がバスケを始めた高校2年生の頃に、父が「日本代表の身長はどれくらいなんだ?これだけ身長が高かったら日本代表になれるんじゃないか?」って冗談交じりで話していた。実際に調べてみたら竹内兄弟(公輔=206センチ/譲次=207センチ)と太田敦也さん(206センチ)が僕とほぼ同じか、ちょっと大きいくらいだったので、「いや、マジでいけるんじゃないか?」って…。僕は「ありえないから!そんなの絶対無理だから!」って言っていたら、その次の冬にU18のトップエンデバーに呼んでいただいた。すごく面白い展開でした。 当時の心境としては、ただただビックリでした。まだバスケを始めて1年でしたし、正直本当に身体能力だけでやっていたので、とてもじゃないけどついていけないと思いました。ボコボコにされるんだろうなって、ある意味楽しみにもしていました。