かつての視聴率女王「篠原涼子」が崖っぷち…バカリズムとのW主演「イップス」の初回視聴率は
もとは苦労人の篠原
主演ドラマの多い篠原だが、もともとは苦労人だ。16歳の時にアイドルグループ「東京パフォーマンスドール(TPD)」のメンバーとしてデビューするが、なかなかパッとせず。94年、小室哲哉(65)プロデュースにより、4枚目のシングル「恋しさと せつなさと 心強さと」がようやくヒット。売り上げ200万枚を突破し、「第45回NHK紅白歌合戦」に初出場を果たした。しかし、その後はやはりパッとせず…。 そして俳優に転身。連ドラ初主演作となった「光とともに…~自閉症児を抱えて~」(2004年、日本テレビ)で自閉症児の母親役を好演し、05年の単発の主演ドラマ「溺れる人」(日本テレビ)でアルコール依存症の女性役を演じ、その演技が高く評価され「第31回放送文化基金賞演技賞」を受賞したが、このあたりから、俳優業としての快進撃がスタートすることになる。 「05年4月期の日テレ系ドラマ『anego[アネゴ]』で、「アネゴ」と呼ばれる頼れるOL・野田奈央子役を好演。相手役の赤西仁は当時、KAT-TUNのメンバーとして人気だったこともあり、全10話の平均世帯視聴率は15.7%を記録しました。翌06年1月期のフジ系『アンフェア』ではバツイチ子持ちの敏腕刑事役が見事にハマり、全11話で平均視聴率15.4%を記録。その後、10年にわたってシリーズ化。劇場映画版も公開されヒットしましたが、主演作を立て続けに当てた事で、すっかり俳優としての地位を確立しました。07年には特Aランクのスーパー派遣社員・大前春子役を演じた日テレ系『ハケンの品格』が全話平均20.1%、最高視聴率は最終回26.0%を叩き出し、“視聴率女王”の座をゲットします」(テレビ専門誌記者) 映像作品と並行して舞台でも演技力を磨き、本人のイメージに合った作品選びであまり間を開けずに主演ドラマをこなす――事務所の戦略は見事に当たり、俳優業が軌道に乗ると、01年に舞台「ハムレット」で共演した俳優の市村正親(75)と05年に結婚。08年に俳優として活動する長男の市村優汰(15)、12年に次男を出産する。 仕事の面でも主演作を重ね、彼氏いない歴10年の恋に不器用な39歳独身の「おやじ女子」を演じた13年4月期の系「ラスト シンデレラ」(フジ系)は全11話平均15.2%と当たったが――勢いはここまで。このあたりから“落ち込み“が目立ち始めるのである。 「いずれも主演作だが、15年10月期のフジ系『オトナ女子』の全10話平均が8.7%、そして、17年10月期のフジの月9枠『民衆の敵~世の中、おかしくないですか!?~』は全10話平均で6.7%。特に最終回の4.6%は、現在までの月9史上のワースト記録です。 主演映画『SUNNY 強い気持ち・強い愛』(18年)、『人魚の眠る家』(同)の興行収入はヒットの基準である10億円ほどだったのでまずまず。20年6月から日テレで『ハケンの品格』の続編が放送され、全8話で12.7%。悪くはない数字ですが、前作に比べると物足りない数字でした」(先のテレビ専門誌記者)