政治家の世襲もさまざま、「政界の暴れん坊」浜田幸一から息子・浜田靖一が引き継いだもの、引き継がなかったもの
■ 自民党国会議員の3割が世襲議員 10月の衆院選では、自民党の大物議員二階俊博氏が引退、三男の伸康氏が地盤を引き継ぎ和歌山2区から立候補した。しかしあえなく落選、世襲の夢は果たせなかった。ちなみに二階氏を破って当選した世耕弘成氏も世襲議員だ。 【写真】まさに般若面。青筋たて一点凝視。豪放磊落、天衣無縫、唯我独尊の言葉がぴったり当てはまるハマコー 自民党の国会議員を見れば、世襲議員と呼ばれる2世・3世議員は実に3割にものぼる。彼らは政治家という家業を継いだわけだが、そこには様々な葛藤もあるようだ。それを物語る一人の世襲議員のケースは興味深い。 「私が喋っている時、食べるのは止めていただきたい!」 と、場内を雷のような大声で一喝したのは、通称ハマコー、自民党の浜田幸一議員だった。その途端、場内はシーンと静まり返り皆箸を止めた。すると途端に浜田の般若のような顔が恵比寿さんのようにとろけた。浜田幸一を励ます会での一場面だ。 確かに浜田の顔はドスが利く。眉間の青筋、突き出た口、ポマードでテカテカの髪。 政界の暴れん坊・浜田の噛みつくような喋り方は、時に自民党の大物議員さえたじろがせた。
■ 「木更津のダニ」から代議士に 浜田は1928年千葉県君津で生まれた。実家は大地主で小学校は優等生だった。しかし、中学時代に兄の戦死で心が傷つきグレ始める。さらに父は博打と酒に溺れ、一家は没落した。 木更津中学の時、旧海軍パイロットに憧れ予科練(海軍飛行予科練習生)に応募したが不合格、海軍工廠の軍用機部品工場に入ってそのまま終戦。 1946年日大に入ったが喧嘩や芸者遊びに明け暮れ、とうとう24歳で半グレからヤクザになる。「木更津のダニ」と呼ばれ、喧嘩で人を刺し刑務所に放り込まれたこともあるという。 出所後、心から反省したかは知らないが地元で青年活動に入り、そこで大物右翼の児玉誉志夫や笹川良一と知り合い、彼らの援助で千葉県富津町議員に立候補し当選したのが彼の政治家人生の始まりだ。そして、児玉や笹川からの金銭的バックアップもあり1969年の衆議院選挙で初当選、以降1993年に引退するまで衆議院議員を7期務めた。