20世紀の「血の滲むような努力で手に入れた知見」が通用しなくなったことを実感した2023年の自動車業界! 日本人は猛省すべきタイミング
伸び悩む日本の自動車業界と日本
効率よく儲ける。それでも、過去20~30年にわたり個人の所得は上がっていない。諸外国と比べて、日本の置かれた状況は異常だ。 【写真】「テレスコピック」非装着車が存在するワケ ダイハツで起きた問題は、一社の話ではない。ここ数年来、自動車業界では、燃費の偽装、生産における検査の不備、車検整備の不適切な行為など、自動車業界の不祥事は枚挙に暇がない。それでいて、電気自動車(EV)は、知見を積み上げたメーカーにしか作れないなどと嘯く。ところが、EV市場を牽引するのは、歴史の浅いメーカーだ。 不遜の極みというしかない。日本人は、猛省が求められる。 なぜ、こうなってしまったのか。 第二次世界大戦での敗戦後、日本は地道な努力を重ね、1980~90年代には世界有数の経済大国となった。クルマでいえば、高級車やスポーツカー、GTカーで欧米と伍するまでになり、ところが慢心し、安易に儲けることに味をしめたということだろう。 戦後、あれだけ頑張ったのだから、そろそろラクをして儲けてもいいのではないか。それは、人間の欲望の原点である。それをすべて否定することはできない。だが、そろそろ潮時だ。
20世紀の知見が通用しない時代となっている
自動車メーカーの経営者も技術者も、「EVは、世界の自動車メーカーで赤字なんです」と異口同音にため息をつく。事実そうなのだろう。 しかし、将来の飛躍を目指す新興企業にとって、目先の赤字は未来への投資と考えることができる。一方、100年という歴史を積み上げ、血の滲む思いをして収益を上げてきた企業は、それを単なる損失でしかないと考える。この差が、いまの日本を投影している。 したがって赤字を縮小することしか考えず、効率を高め、収益を維持しようとしたところで無理が出た。 すでに21世紀も20年以上が過ぎ、もはや20世紀に経験した知見は振り出しに戻す時期に来ている。新興企業も歴史ある大企業も、ゼロからの同時スタートを切っているのがEV開発である。赤字でいいとは言わない。だが、それを黒字に持っていく戦略が不可欠であり、将来性のある戦略を組み立てるには、科学と技術の原理に基づいた本質論と、21世紀の社会で何が求められるかという、暮らしに目を向けた俯瞰した目だ。そのいずれもが、日本に欠けている。 身近な例でいえば、なぜ、いまだに軽自動車にテレスコピックを標準装備できないのか? それは、運転姿勢を整える安全の基本だ。 各自動車メーカーから言い訳は聞こえてくる。しかし、それらは、いずれも効率よく儲けようとする場当たり的な意見でしかない。ここを起点に、いまのメーカーの不祥事が象徴的に表れている。 21世紀にどのようなクルマを生み、どのような交通社会を築きたいのか? そこが、秋のジャパン・モビリティ・ショーで問われていたことなのではないだろうか。
御堀直嗣